2015年7月9日(木)
モラル

 いま政権から教育現場や教科書に対する注文が、忙しい。一つには道徳の教科化がありそのための教科書作成が現実の問題になっているし、もう一つには選挙権の年齢引き下げがあるからであろう。教育現場の教師たちはどう対応するのだろうか。上意下達の支配下に置かれている近頃の教育現場では、この大事な問題に於いても、自己の信念を曲げざるを得ない状況を押しつけられる可能性があり、どっちつかずの当たり障りのない透明人間にならざるを得ないとしたら、それは私などとても我慢できることではないではないか。そこで私は教師が生徒や児童に対して取るべきモラルの基本を以下のように考えるがどうだろう。それは二つある。一つは未来の子供たちに負の遺産を押し付けないようにするという原則であり、もう一つは差別が諸悪の根源であるからこれを排除すべきだと言う方向である。この二つがいまの人間に与えられた最も基本的な責務だと考える。この二つの視点から見渡せば環境問題から原発や資本主義の経済先行いよる問題点や、いじめから始まって差別感情の高まりが戦争という最悪の災害を引き起こす経緯にも触れることができるだろう。

2015年5月6日(水)
夫婦で描いていて

 「全く違った絵を描いているのだけど、脇にある絵に違和感を感じないのはどういうことなのかな。」と家内が言った。私の家内は水彩画会の会員で女子美では片岡球子に日本画を習ってきた。 以前は縁側を少し広げた6畳ほどの部屋で描いていたが、水彩展の出品規定で会員の作品が80号までとなったころから、8畳くらいのスペースしかない狭いアトリエで私と二人並んで描くようになってしまっている。
 おかげで、水彩展は6月初めの開催であるから、その半月前くらいまで彼女が描くことになり、私は秋の二つの展覧会に出す大型の作品の制作に入ることが出来ない。彼女は父親が日本水彩画会の委員であったことから水彩展に出品するようになり、今はアクリル絵の具と岩絵の具や箔などをチャンポンに使う具象画であり、私の抽象表現とは全く異なった作風である。私が黒や茶色をほとんど使わず原色を多用するのに対して、彼女は黒や茶色や黄土色を多く使いで枯れ木や草むらや岩などを好んで描く。
 彼女が作品を見てもらっていた、水芭蕉シリーズで知られる抽象的な日本画のさきがけの佐藤多持さんは、私の個展などにも来ていただいていて、「夫婦で全く違った絵を描いているのは珍しい」と不思議がっていた。画壇を見まわすと確かにこれは珍しいことであるらしく、これまでは絵描き同士が結婚するとかみさんの方が辞めてしまう場合が多かったし、画材はもとよりで色調や構図やモチーフなどが似ている場合が多いのだ。
 さてそこで彼女の疑問に私は「まったく別種の表現だからかえって気にならないのだろうし、そのくせ二人とも向いている方向が同じだからでしょう」と答えておいたのだが、どうだろうか。女子美を終えてから彼女は、中村正義などと言う異端とか革命児とか言われる画家に助言を得ていた時期があり、私が主張する「絵は描きたいものを描きたいようにえがくものだ」と言う方向に近い立場で描いてきていて、きれいごとや売り絵には無関心であった。
 私たちはお互いの作品に対してほとんど意見を言うことは無いが、無関心と言うことではなく、私は「ほうやってるやってる」と言うようなほぼ肯定的野次馬気分で眺めている場合が多い。彼女も同じようなことだと思う。共通しているのは、二人とも手先が不器用で、細部で見せる手際よい処理などはできないと言うことと、自然を愛しそこから主調や空間感覚を引き出そうとしていると言うことの辺りかと思う
。中川一政が言ったと言う「対象を描くのでは無い、対象からら受ける感動を描くのだ」辺りに二人とも共感している。

2015年2月1日(日)
戦争につかまってしまった。

 湯川さんに続いて後藤さんも殺されてしまった。ISILの横暴とその残虐性は数々の報道から見ても人間性のかけらもなく、最悪の犯罪集団と言わねばならないと思う。ただし彼らに空爆による数多の死者への報復だと言われてみると、どちらの罪が重いのかとの判断には迷う。そして絶望的な憎悪の連鎖反復の一場面として見ざるを得なくなる。その連鎖はブッシュが行ったイラク戦争に遡り、イスラエルの建国とパレスチナ問題に源流が求められもするのだ。
 今はお二人のご冥福を祈るしかなく、この間の日本政府の対応と今後の対処の仕方をしっかり見て行かねばならないのではないかと思う。安部はこの事件中の公式発言の中でただひたすら反イスラム国有志連合に加担することを言い続け、アメリカ寄りの発言をし続けてきたから、湯川さんも後藤さんもこれでは助かりそうもないなと思っていたら、やはりこの結果であった。私だって言論の自由も基本的人権も男女平等も認めないISILには絶対的な拒否感を抱くが、本当にあの二人の命を救いたいと思っていたのなら、もう少し別の発言の仕方があったのではないかと思うのだ。またあの二人が拉致されてからの数か月、なすこともなく日を送ったと見える状況からも、政府には最初から二人を見捨てていたのではないかの疑問を感じる。
 さてこの事件でISILのツイッター上での安部の発言への言いがかりとも取れる言い方だが、日本は彼らの敵であり攻撃の標的の一つにされてしまった。言わば宣戦を布告されたようなものだ。政府や官僚関係だけでなく企業から派遣されて中東にいる日本人は多数いるだろうし、国内でもテロが起こる可能性が出てきたと言うことだろう。イスラム原理主義者だけにとどまらず世界に蔓延している反米反ユダヤ主義にも結び付くだろうから、その関連の襲撃は世界中どこででも起こりやすく、その危険は長く続いて泥路沼化の可能性があり、しかもこの国ほどそのような襲撃に弱い国は無いだろうと思うし、その上この国への襲撃はアメリカに対する効果を強く持つだろうと思われる。
 安部は早速邦人救出のための自衛隊派遣を認めるべきだと言いだし、これをチャンスととらえて一気に憲法を改悪し、再軍備路線を進めようとしているようだが、その路線はアメリカによる安全保障を強めはしても、これまで平和憲法の下で培ってきた「平和国家の民と言う安全保障」を捨ててしまうことになる。この方向は全く後藤健二氏の意思に反する方向であり、例えばペシャワール会の中村哲氏のような、貴重な活動をも危険にさらすことになる。この国は奇跡的な70年の平和を打ち切って戦争のできる国となって、アメリカ式対テロ戦争に巻き込まれてしまったとすべきだろう。安部は強気で押し通しその線で進めるつもりだろうが、この戦争は半永久的に続くにちがいなく、、少子高齢化に悩まされ先細りのこの弱小国家を悩まし続けることになるだろう。その先の先まで見通せば平和憲法を守ることで世界にアピールしていく道の方が、結局はこの国を存続させる力になっていくのではないだろうか。憲法を改訂し軍事力を高める政策は、近隣のかっての被支配国や周辺民族との間の緊張を高めるに違いなく、
危険な関係に陥る可能性もある。二人の命と引き換えに多数の命を失うことになる戦争への道を歩むべきではない。この他にも北朝鮮をはじめとする近隣諸国との軋轢があり、エボラやエイズやデング熱、、温暖化に伴う気象災害、大型地震災害、火山活動の活発化、福一からの放射能漏れや除染の問題などなど対応を迫られている不安材料は枚挙にいとまがなく、軍備増強に予算を回し続ける余裕はないはずだ。年金や結局福祉関係を削らざるを得なくなって、貧富の格差をますます大きくしていくことになりかねない。外交問題としてはまずもって近隣諸国との友好を回復することを急ぐべきだろう。

2015年1月9日(金)
読書

 私がこれまで読んできた本はほとんどが文学書(小説)です。哲学科を出ているのにその関係の本は全くと言ってよいほど読んでないし、美術に関する評論なども専門的な用語などが多いものは、少し読むと眠くなるからやめてしまう。私は作家だから、創造された作品としての文学には興味があるが、評論は作家の創造活動に後から理屈付けをするものだから作家は読まなくてもよいのだ等と屁理屈をこねている。
 私は現代の表現者として現代のものを積極的に読むべきだと思うが、未だ評価の定まらない若い作家のものなどにはなかなか魅力を感じない。で、だいぶ前からノーベル文学賞受賞の現代作家のものを主に読んできたが、トシのせいか翻訳書が読みづらくなってきて、近頃は漱石など日本の近代文学の読み返しが多くなってきている。健忘症で読んでも読んでも片っ端から忘れてしまうから、少し間をおけば読み返しでも充分楽しめる。それに名作と言われるものでもいくらでも未読のものがあるので、図書館でそのようなものを探してきて読むことが多くなっている。このひと月の間には井上靖に目が向き「蒼き狼」と「おろしや国酔夢譚」を読んで,強い感銘を受けた。前者はジンギスカンの生涯を描いたもので、一生のうちににアジアからヨーロッパに至る広大な地域を席巻したモンゴルの英雄の話である。刃向う部族や町にたいしては男は子供も一人残らず殺戮し、女はものとして扱い部下の自由にさせる。降伏した町に対しても働ける男は兵員に加えるか奴隷として扱う。そんな酷薄な独裁者の一生を淡々と描いているが、作者はわずかに一人の女性との交情とか、家族に対する愛情などで人間性の一面を覗かせはする。この作家独特の乾いた文体がぴったりのテーマと感じる。神風?のおかげで日本が救われた歴史を思い返しながら、また第2次大戦中のことや近頃のテロや内戦などを思いながら読んでいた。われわれには理解しかねる野蛮な時代の物語だが、おなじ人間である以上そこに描かれる心理には今の世にも理解できるものがある。彼の戦う動機はやらねばやられるという自己防衛意識がもともとの所にある。現代の戦争に通じるものである。
 いずれにしてもこのようなものを読んでいると、人はなぜ殺し合うのかの疑問に突き当たる。征服欲、支配欲、闘争本能、これらは女性にもないわけではないようだが専ら男性に求められる属性で、そのためにこそ男性は存在していると言う人もいる。それがある以上戦いは亡くならないのではないかと思い、この国にも存在する軍隊必要論にも理があるなと思ったりもする。また人の命や死の軽さに思い至りもする。人はいつかは必ず死ぬ。だからその死に、愛国心とか愛する者あるいは家族を守るためとかの大義名分さえ与えれば、殺し合いの場に他人をさらしても良いのだと言う理屈が成り立つ。
 しかし翻って考えれば、私自身の命はどんな理屈をつけられようと他人の意志によって失わさせられることは御免だ。人間は重病下でも寿命が尽きようと解かっていても生きている限りは生きて行きたいと思うのが、精神に狂いが来てでもいなければ普通なのだ。他人の暴力によって殺されたりしたくはない。ましてや政治家や事業家や金持ちたちの命を守るために、あるいは国体とか政権とか言うものを守るために死地に赴かされたりしたくはない。愛国心とかいう掛け声に踊らされて戦場に赴いたりしたくはない。殺人はどのような状況であれ最悪の罪だと思う。。
 ジンギスカンはただひたすら彼の版図を広げ続けたがその晩年はいかがなものだったろうか。いかに広大な支配地を得ても、多量の戦利品を獲ても、一人の人間に立ち返るならそこには孤独しかない。完全に壊滅させたはずの町がいつの間にか再び多くの人の住むところになっていたりする現実
、結果として故郷のモンゴルにも多様の文化が流入して周囲の生活様式が変わっってしまった中での、孤独な独裁者とその死が描かれて終わる。
 後者は嵐に遭って漂流した、船頭大黒屋光大夫とその船の水夫(かこ)たち18人の運命を史実に基づいて描き出したものである。それらは漂流と漂泊のうちに次々と亡くなり、最後は5人だけとなりうち二人はキリスト教(ギリシャ正教)に帰依して彼の地に留まることになるから、10年の歳月を経て故国に帰り着くのは光大夫と二人だけ(うち一人は帰国いしてまもなく亡くなる)であった。この間に彼らは極寒の荒々しい自然とロシアの政治に翻弄されながら千島からアリューシャン、シベリアと渡り歩く。光大夫の優れた識見と柔軟な精神がこれらに対応するうちには、彼の地の人々の支援や友情も得ることが出来た。特にシベリアを探検するワックスマンと言う学者の知己を得て、その協力で光大夫だけながらロシアの首都ペテルブルグまで行って女帝に会い、その指示によってやっと念願かなって故国に送り返されることになる。しかし帰ってきた祖国は鎖国中であり、二人は郷里に帰ることも許されず、その実見した外国の事象について話すこともほとんど禁ぜられて飼い殺しのうちに死んでいく。長い間北国の厳しい自然と闘いながらただひたすら帰国を望んでその夢が達成されたにもかかわらず、全く無為の後半生を送らされることになる。
 以上の二つの人生は急激な老化に見舞われ終末に近づ来つつあることを実感している私にとって、自分のこれまでの生涯を顧みさせることになった。わが人生結局何だったのだろうかと。私も多くの夢に期待を掛けながら生きてきた。いくつもの幸不幸に出会い、一喜一憂の生涯だったと思う。しかし終末に至ればすべては無に帰するのだ。だがしかしまだ生きていて生きている以上欲望や希望は存続する。しばしば年寄りの非力を感じながら、やれるだけのことはやって行かねばと思う。

2014年12月15日(月)
選挙結果

 殆ど予想通り。投票率が低いのは半ばは国民の政治離れのせいか、あるいはあなた任せの民族性からか、他の半ばは現政権を支持はしたくないが、さりとて支持できる野党もないという人たちのせいだろう。小選挙区制度も大きな要因だ。
 しかしこの結果からは、政権はアベノミクスとやらの経済効果だけを表看板にし、ジャーナリズムもそれに追随していたが、その本当の狙いは憲法改悪と一党独裁のファシズムにあるのではないかとの不安が現実味を帯びてくる。今後4年もあれば首相の野心は相当なところまで実現できるだろう。野党の現状から見れば、更に延命もありうる。その点から考えると政権内野党である公明党に期待するしかないのかと言う辺りに落ち着くが、しかしこれも過半数を占める自民の前では弱弱しい。いったんお前とは手を切って維新辺りと手を組むよと脅されれば、どうにもならないだろう。
 あるいは最近の対中韓外交に見られるような首班の良識?に期待するか。
外交面から見れば長期安定政権であることは悪いことではない。毎年首班が交代していたりすれば、諸外国からの信用を失うばかりで周辺諸国からは足元を見透かされる。現在から未来に向けての欧米などの世界的な視野に立てばいかにやりたい放題の首班と言えども、そう無茶なことはできないのではないかとの楽観論も可能ではあるかもしれない。問題は彼を取り巻くネトウヨなどの、全く感情的で世界からどう見られているかなど考えもしない国粋主義的な右派集団の存在。彼らが今度の選挙結果でまた一段と調子付くのではないかと言うこと。投票率の低さに見られる政治無関心層の厚さを考えてみても、国内が感情的に二つの分裂していがみ合うようなことになりかねない。それは政権にとっては思う壺かも知れず、治安維持法や赤狩りの時代が生じかねないとの不安を抱かせる。
 一方共産党の躍進については現政権に対する、明確な批判票の増加と受け取れるから喜ばしいことだが、21人くらいで議会内で孤立している現状では、実質的に何もできないのではないだろうか。なにしろ相手はニュースキャスターの質問も無視して持論ばかり述べ立てるような無神経な人だ。どんなに理を説いても蛙の顔にションベンとばかり、多数を頼んで思い通りに事を運ぶだろう。何しろ無批判で寄らば大樹の取り巻連中が一杯いるのだから。
 イスラム国とか北朝鮮やシリアの独裁者とかエボラ熱とか温暖化とか、サイバー攻撃とか、核とかその不拡散とか・・・世界的な規模での対応が迫られる大きな問題点がいくつもある時勢。特に近隣諸国との関係改善が急務なのに平和憲法を変えて軍備を増強することに何の意味があるのか。ましてやこの国は少子化高齢化に悩まされている上に食料や資源の大多数を輸入に頼っているのだから、何が何でも平和を守ることで生き続けねばならない。戦争を起こすのはもちろん巻き込まれてもいけない国なのに、現政権は集団的自衛権などで危険を呼び込む可能性を格段に増やしている。だいたい世は国同士の戦争の時代ではない。テロと内紛の時代である。偏狭な民族や宗教や性別などの差別と反抗からくる騒乱の時代である。
 これまでも何度も言ってきたが、戦争や争乱の始まりは子供の喧嘩のそれと変わりはない。悪口やこぶしの振り上げなどの感情的な潮流の高まりの先に、案外簡単に始まってしまうものだ。この国が生き延びるためには、どこまでも冷静な判断が求められている。そのよりどころになり感情の渦をも妨げる防壁として憲法第9条がある。
 

2014年10月31日(金)
近況

 東北大学の美術部の同期で地質調査関係の仕事をしながらしばしば私の展覧会に顔を出していてくれたS氏が4月に亡くなっていた。奥さん(私の中学校の同期)から年賀欠礼状が来て知った。手術中のミスによる失血死らしい。医者のすすめに従って、自分で支度して気軽に入院して手術を受けての突然死だったとのこと。奥さんが悔しがっているが手のうちようがないと言う。この手の話は近頃よく聞く。うちの家内の身体不調の原因も8年前の肺がん切除の際の手術の不手際が原因と思われるが、今さら手の出しようもない。彼女ははそれ以来死ぬまで、苦痛を負って過ごさねばならないことになってしまった。
 ところでそういう私の状況だが、なんと言ってよいかわからない身体的と言うべきか神経的と言うべきかの不調に悩まされ続けている。その内よくなるだろうと思って毎日のウオーキングも欠かさず日常の習慣をできるだけ変えずに過ごしてきたのだが、徐々に悪化の方向にあるようだ。平衡感覚に異常が生じているようである。立ち上がったり屈んだり歩いたり自転車を漕いだりするその時々に妙なふらつき感に襲われるし、ぼんやりした弱いものだが頭痛や肩こりも絶えずあるし足も異様に重いのだ。その上10月初めに風邪っ気になって以来未だにそれが続いていて鬱陶しい。これまでは風邪を引いても大体一週間で治っていた。風邪っ気の段階で葛根湯を呑み始めればそれ以上の悪化は避けられたのだし。尿意の切迫もひどくなってきて悩まされている。これなどは通常の老化現象で仕方がないと言えるが、夜中5回も起きる日が多くなるとさすがに嫌になる。幸い起きた後眠れないとうことは少なくなっていて、睡眠時間は平均6時間前後は取れていると思う。おかげで不安だった行動と汎美の秋の展覧会シーズンもなんとか無事過ごせたし9月の大菩薩と10月の飯盛山歩きも何とかこなした。しかしこの数日ふらつきも風邪っ気もひどくなってきていて、11月8日から二泊の犬吠埼での汎美のスケッチ会(自然に親しむ会)を持ちこたえられるかどうか不安である。私が責任者で宿との交渉なども進めてきたのだからやめるわけにはいかない。

2014年8月2日(土)
次々と
 昨日は台湾で異様な事故があり多くの死傷者が出ました。インドネシア航空の旅客機が行方不明になったことやシリアの情勢など、また西アフリカの女学生多数誘拐に、韓国のフェリーの沈没事故など次々と起きて中にはすでにかすんできて仕舞っているのもあって、最近はウクライナの旅客機撃墜やイスラエルのガザ侵攻など次々と、よくもまあ多くの命が失われるような事故事件が続くものだと思います。そのほとんどが人の無知無謀や憎悪や差別に根があるもので、人災と言うべきものです。私は子供の頃夢中で繰り返し読んでいたから「世の中の人が皆幸せにならねば私の幸せはない」と言った宮沢賢治が今生きていたら、どのように書き行動するのでしょう等と考えてしまう。
 このような情報に接しても私にはなにも出来ません。せいぜい作品の上に何らかの時代の証言を残すことが出来るかなと言うところですが、目下描いている200号は描けば描くほどごたごたするばかりで行き詰っています。題名の付けようもありません。ただ暗い塊のようなものが大きく画面の中央を占めて動きません。目下はガザの一方的な虐殺に対する怒りとも悲しみともいえないものが大きいのですが、心に突き刺さってくる情報の多さに辟易しながらの制作です。家内の身体不調や家の修理などの身近な問題も被さってきています。それに暑さ。これには比較的強いはずの私も、残暑が長々と続いたりしたら対応し切れますかどうですか。
 この春の神経の病気以来自分の無力さをつくずく感じています。身体の機能についても急速な衰えを感じています。しかし人間生きてある以上は生き続けねばなりません。言葉では言い表せないものも作品には込めることが出来るはずだと思い、絵筆を握ります。専らコンポジションに配慮しての制作ですが、色一つ決めるにも私の内面の動きが影響しますから、作品にはおのずと私の内面の悩みや悲しみなども吐露されるはずです。
 7月26日で78歳になりました。そのこと自体はどうと言うことでもありません。ただ冥土の旅が近づいてきていると言う実感が強まってくるだけです。その前日は信州の霧ヶ峰の高原を歩き回っておりました。沢渡の山小屋に一泊してです。高原の一部はすっかり観光地化して駐車場には車がいっぱい、車山の山頂は人でいっぱい、駐車場などの食べ物屋や土産物屋などは繁盛しておりましたが、数歩高原の中の山道に踏み入れば、人影も少なく、緑に埋まる感覚や大きく広がる空の近さは有難い感覚でした。時期が良くて花もいっぱい咲いておりました。もう険しい山道は敬遠ですが、探せば自然の内懐に入れてもらえるような山道はまだまだあるようです。もうしばらく山歩きは続けたいと思います。泊まった宿も静かな林中に建つ昔ながらの小さな一軒家の山小屋で、良かったです。
 
2014年7月1日(火)
近況と・・・

 薬からの離脱はほぼ成功したのではないかと思います。睡眠薬や安定剤も断っていますから、不眠症が戻ってきはていますが、今は4時間前後の夜と6時間前後の夜が相半ばしている状態。日中眠気をこらえることに苦労する日も多いのですが、だんだんと改善していくのではないかと思っています。昨日はなぜか気分が明るくなっていて、これまでの多少の差こそあれ常に何かに追われているような忘れ物があるのではないかとか言うような不安感があったのが、一日無くて助かりました。だんだんこのような日も多くなっていくのではないかと期待しています。
 ところで今日は例の集団自衛権に関する憲法の解釈変更を閣議決定する日とか。このことに対する批判などは既に多く語られているからここには書かない。ただひたすら不安と憂鬱を感じさせられるだけだ。国を守るために若者に死ねと言うことを誰が言い得るのか。国は戦争に負けても滅びるとは限らない。体制が変わるくらいなものだ。つまり体制のために命を捨てることが出来るかと言うことだ。首相は民主主義と基本的人権を守るためだと言っていたが、これほど民主主義を粗末に扱う人はいないと思っているから、お前にだけは言ってもらいたくないよと言いたかった。
 サッカーのW杯で予選負けの選手たちが力を落として帰ってくる。でも彼らは生きて帰ってきていてこれからまた再起する希望を持つことができる。戦場に行かされる若者たちは白木の箱に入れられて帰ってきて、彼らの未来は断ち切られてしまう。国のためであろうとなんであろうと、死は無への回帰だ。靖国神社をもってしても、キリスト教であろうと仏教であろうとイスラムであろうとそうでないと言い切れる者はいない。誰も死を経験した者はいないからだ。だとしたら死を強いることはやはり最大の罪だ。
 戦争は意外に簡単に起こり得る。しかしそれをやめることは非常に難しい。今までは憲法9条が防壁になっていてくれたがこれからはそうではなくなってしまうのか。今の時代この国が戦争に勝つなんてことはありえない。アメリカのバックアップでもあれば負けないかもしれないが、イラクやアフガニスタンの米軍のように泥沼にはまって手を抜けないような状態がぐずぐずと続く状態に落ち込むのが関の山だろう(核を使ったら地球が滅びるのだからそんなバカは誰もしないだろうと言う前提に立って)。その間にただでさへ少子化で少ない働き手の若者たちはどんどん減って行き、経済が破たんしインフラをはじめとして国土は疲弊していくだろう。だいたい食料の自給率が40%に満たないと言うような国が戦争で海外からの補給路を断たれたら、どういうことになりますか。石油やレアメタルなどの資源についても同様です。この国は絶対に戦争を起こしても巻き込まれてもいけないのです。54基もある原発の一つでも占拠されたら、それだけでお手上げじゃないですか。
 ところで私は20世紀が戦争の世紀と呼ばれたのに対して21世紀は女性の世紀になるのではないかと期待してきました。女性がけん引する社会では命が尊重され、意地や理屈に振り回されることが少なくなるだろうとの期待です。また3.11の大災害の中で被害者たちも含めて人々が秩序を守って暮らしたことが海外で賛美されて、この国は礼節と道義を知る国と自慢できるのかなと思っていたのですが、先日の東京都議会のヤジ暴言問題ですっかり裏切られた気持ちでいます。一地方議会の事件ではありますが、この国の実態を表す象徴的な事件であったと思っています。特に議会があの犯罪を一切追求せずにうやむやにしてしまったことには、腹立ちを越えてこの国に対する絶望的な悲哀感を感じさせられました。世界中から笑いものにされながら、彼らが平気で議会活動を続けるということは、その周辺に彼らの言動を承認する人々が多数いると言うことであり、この国の人権意識とくに男女差別への意識の程度が、世界水準に到底及ばない低い水準にあるということだと思うからです。
 男どものこのような知能程度の低さも問題だが、この国の女性の政界や責任ある立場(社長、校長などなど)への進出程度の低さも、嘆かわしいことと思っています。先進国の中では最低の方でしょう。その一方で子を産み育てるという女性としての最も重要なはたらきも放棄している者が多いように見えるし。せっかく結婚してもすぐ離婚だ。忍耐力と言うものが衰えている。家庭を築くなんてことはよほどの忍耐心が無ければできない。親やじいちゃんばあちゃんが女の子(だけではないかもしれないが)を甘やかして育てているからなのではないか。我々の世代までの女性たちは、家庭を守り子を育てながら仕事もしてたくましく生きていた。男女平等は結構なことだが、家庭の維持は夫婦の対等の協力でなされねばなら無いはずだし、育児についてはやはり母親が中心になるべきだろう。残念ながらこの国に関しては女の世紀の到来は夢のことのようだ。現首相を「恰好よいから」としか見ないような女性に支持されているのじゃないかというのは、邪推だろうか。
 この国を戦争のできる国にしようとたくらむ人々は、女性の世紀の実現に反抗して戦前のような男の時代を取り戻そうと言う人たちではないだろうか。たしかに昔から男の役割は戦うことにあると言われてきたし、平和が続けば男の存在感は薄れていくだろう。実際に数百年後には男が退化していなくなってしまうので無いかと言う学説もあるそうだ。そう思ってみると男性優位を掲げる宗教の民族や国家に内戦等が多発しているのもうなずける。男どもの焦りが戦争や内乱や宗教対立などの紛争を煽っているのではないか。現政権も同断なのだろう。 

2014年5月6日(火)
永らくご無沙汰してました

 トシですね。若い頃の気分で、このくらい何とかなるさと思っていたのですが、いつの間にか限界を超えていたらしく、体調?を崩してしまいました。2月末の個展とそのあとにすぐ続く汎美展の期間が相当きつそうな山場と思われていて、これを越えられるかなという不安はありましたが、それに3冊目の「油絵のすすめ」の原稿の最終的な編集が重なり、さらに一知人とのどうにも同調しかねる意見についての強引な議論に巻き込まれてしまっているうちに、限界を超えてしまったようです。
 なんだかおかしいと思っているうちに神経が暴走し始めて、不安とも焦燥ともつかない感情に翻弄されるようになり、それが慢性的なものになってしまって、たまらずにかかりつけの医師の紹介で、心療内科と言うところで薬を処方してもらう身になってしまいました。それが4月初めのこと。その後2週間くらいで薬の効果が出てきて、薬を飲んでさえいればほぼ平穏な日を暮らせるようになり、目下はその薬からの離脱を試みている段階です。
 薬には必ず副作用はあるものですし依存症も怖いから、なるべく早く離脱したいと思っているのですが、これがなかなか難物のようです。すでに一方の精神安定剤をやめてから1週間になりますが、やはり3日目くらいから、しばしば気分が波立ち、ちょっとしたことがきっかけで不安な気分に陥りやすくなっているようです。
もう一つの抗鬱向精神薬の方は再び不眠症に襲われるのではないかとの不安もあって、不安定状態から完全に脱するまで、もうしばらく続けざるを得ないかなと思っています。幸いどちらの薬も最低量を越えずに今までのところは済んでいましたので、離脱も比較的容易にできそうだと思ってはいるのですが。
 医師は病名は言いませんが、ネット資料などで見る限りはこれは鬱病などではなく、不安神経症ではないかと思っています。医師がこの二つは全く違う性質のものだと言ってくれたので、だいぶ救われた感じがしたものです。
 不安と言えばもうだいぶ前から私は強い不安の中で生きていたなと思います。以前から不安は私の制作の主要な主題の一つではあったのですが、決定的にその質が変わり、現実味が格段に重くなったのは、3.11の巨大地震と津波の被害と福1の爆発と放射能問題、その間の政治の混迷とそれに続く急激な右傾化の流れの中だったと思われます。何か運命的とも言えるような大きな流れが出来てしまって、この国の未来がどんどん暗くなっていくのが感じられてきたと言うことでした。特に怖いのは世界中あちこちに今起きている、国家が二分されている状況がこの国にも表れそうな気配です。全く一方の人々には到底認められないような主張を、他方がその陣営内でだけ通じる論理で展開し、双方の間には越せない溝がどんどん深まっていっているような、それがまたWeb上それぞれで勝手にヴォルテージを上げていく。このままで行くとどうなるのか。今のところは政権が一方に与するばかりかそれをリードしている状態のなかで、ナチズムを容認するような極端な集団も生まれて来ている。そのような危険な政権の支持率が、世論調査の度に50%台を維持していることが不安を増長させている。もっともその政権の主要な政見の各個別でみると不思議なことに支持率が低い。これはその前の政権があまりに弱体だったことへの反動と、現政権に代わってからなぜか表向きながら経済が活性化していることによるものと思われますが。
 私自身は既成のイデオロギーや宗教には無縁の人間で、平和主義と民主主義と自由主義の観点から世界の動向を見てそれぞれで判断すしているだけの、いわゆる左翼とか言うほどのものではないリベラリストあたりかなと思っているのですが、右傾化の時代にあって、この程度でも左寄りの人間と見なされているらしい。とすればあの忌まわしい赤狩りの時代が再び来たとしたら如何とすべきでしょうか。
 当分は薬からの離脱ができたとしても、また不安神経症に逆戻りしかねませんね。いやはや。

2014年2月16日(日)
ついてない

 8日の大雪がまだ残っているのに一昨日から昨朝にかけての記録破りの大雪。東村山は優に40センチを超えた。で、今日16日が行動Tokyou展とその中でやる私の個展の搬入の日で,、午前10時に業者の車が来ることになっていた。ところが我が家からは狭い路地と自転車道路を経て、車道まで100m近くあって、その間の除雪を行わねばならなかった。幸い昨日は休日で隣家の御主人も協力してくれたから、何とか一日かけて作品を運べるくらいの幅に道を空けたのだが、その先の車道を見て呆然。病院と雑木林に挟まれた道路の末端だから車の通行は滅多になく、土日だから分厚い雪にすっかり埋もれている。作品搬送の業者の車が入ってこれるかどうか、来たとしても転回も出来ないではないか。その上作品を出す縁側の上には屋根から雪庇が張り出していてひっきりなしの落雪と落水、これでは作品がびしょ濡れになる。
 そこでTokyo展の事務局に聞いたらどうしょうもなかったら展示の日の22日(土)の午前中でも良いと言われたから、業者と相談してその方法を取ることにした。一日の雪かきでくたびれて、それでも一段落と思ってテレビを見たら、なんとまた19日に雪が降るだろうと言っている。それも今朝になってみれば大雪の可能性があるとさ、いやはや。
 業者の車が来るのは21日(金)の夕がた。今日なら日曜だから手伝いに来てくれると言っていた息子も来れないし、ウィークデーの除雪は多分私一人の仕事になるだろう。これはなかなかしんどい。しかし今度は間が二日あり、二日かければ何とかなるだろう、それにウイークデーだからあの道にも病院関係の車の出入りがあるはずで、道が何とか道として使えようになるだろう。
 それにしてもついてない話だ。

2014年1月26日(日)
ナショナリズムの呼び声

 内の家内は釣り上げられる魚のテレビ映像や、牧場の肉牛の姿に同情して「可哀そう」と言う。私はその度に食物連鎖などという言葉を思い浮かべる。下は植物や菌類から上は哺乳類に至るまで、弱肉強食で上位のものが下位のものを食って命をつなげて行くのがこの世の習いだから、致し方ないではないかなどと考える。ところが今回はなぜか「ナショナリズム」という言葉も、その食物連鎖に関連した言葉として思い浮かんだ。
 食物連鎖の階段の頂上に位置するのは人類である。まだろくな道具も技術も持たなかった時期ならいざ知らず、今では人類に敵う生きものは地球上には存在しない。たまに各種の病原菌やウイルスの蔓延などがあるが、一時的部分的な結果におわる。そこで神様は人間にナショナリズムとそれに似た各種の感情を与えて「人類同士で殺し合うように」人間の内面を作ったんじゃないのかな等と考える。国境とか民族とか宗教の宗派とかイデオロギーの違いとか排他主義とか・・・で人類を幾重にも分断し、お互いに他より自分たちの同胞を優越したものとし、他を軽蔑し合うように仕組んであるのではないかと思う。(断っておくが私は既成の宗教には直接の縁をもたない。ただ、自然なり宇宙なりの摂理と言うような力の存在はいつも感じており、太陽や水や土や空気のありがたみに対してはそれらを敬う部分に関しての既成宗教も含めて、敬虔でありたいと思っている。宇宙も人間も突き詰めていけば、無から生まれ無へ帰る存在だと思っている。だからここでは「神様」と言わずに「自然の摂理」とでも言う方が正しいのだろう。)
 ところで今なぜナショナリズムかと言うと、人に勧められて本屋大賞を取ったとかいうベストセラー小説を読んでいるからである。その本を読んいると、いたくわが内なるナショナリズムが刺激されるのである。登場するゼロ戦と言う機械とそれを作ったこの国の技術者への礼賛と、その機械に乗って戦った搭乗員たちの姿が、手を変え品を変え実に格好よく描かれているからである。
 私もかつては軍国少年であった。あの頃熱狂した一方的な戦況報道や、そのころ読んだ戦記物や軍艦や飛行機に関する物語や「敵中横断なんとか」などの少年小説に「ノラクロ」や「タンクタンクロー」「冒険ダン吉」などのマンガなどなど、と同じノリの快感を味合されるのである。ヒーローたちを実に格好良く美しく描くということで人々の本能に訴えているのは、文学としてはもっとも単純な構成の小説なのだが、これが数百万部も売れて、作者は今の首班の覚えもめでたく、NHKの経営委員に選ばれていると言うことになると、これは困ったことだなと思うし、この先この国の上にはますます黒い雲が広がっていくのではないかと言う不安に脅かされもするのである。願わくばこの本の読者には、戦後造られた多数の反戦文学や映画にも目を向けて頂きたいものだと願う。またガルシア・マルケスやギュンター・グラスあるいは大江健三郎や安部公房などの現代作家たちの世界的なベストセラー文学も読んでみて頂きたいものだ。
 私もナショナリズムを裡に持っている。滅多にスポーツ番組は見ないが、対外試合となると見て、一喜一憂しながらこの国のチームに声援を送る。日の丸や君が代戦時中の既往が重なるし、それへの尊敬を強制されるべきものではないと思っているが、オリンピックの会場に掲げられたりすれば「やったー」と思い、美しい旗だななどと思う。愛国心愛郷心同胞愛、それらは人類の誰もが持っている本能である。だから私もこの小説でも、場面によっては涙を感じる場面もあった。
 たしかに、そこに生き甲斐を見出す人がいてもおかしいことではないとは思う。しかしそれが長じて他を蔑視したり排他的になってもらっては困る。それらが長じて群衆的な感情になってしまい暴発すれば、たちまち戦争と言う最悪の災禍につながる。そのような本能に轡を付けているのが、現憲法の第9条である。その憲法を改変し日米の軍事力強化を背景に外交を進めたく思っているかに見える現政権に、不安を感じているのである。
 特にこの小説の困るところは「国のためなら命をささげても良い」とする、戦時中の強制的な倫理観を肯定的に描いていることだ。ラバウルなどのソロモン諸島で、圧倒的な物量を誇る相手に窮鼠猫をかむような戦いをせねばならなかった若い兵士たちの内面が、実際はどのようなものであったかを、少し想像力を働かせればわかることだと思うのだが、そのようなことには「悩んでいた」と言うような暗示に留まり具体的には一切触れていない。また軍の指導体制や指導部に対する批判は一応描かれてはいるが、無謀な戦争を引き起こしたいわゆるA級戦犯たちの責任にも触れていない。だいたい命をささげるべき「国」とは一体なんだったのか、と言う疑問も無視されている。
尖閣諸島や竹島に北方等の領土問題から、あるいはミサイル発射や拉致問題や核保有問題などに関して、ひたすら感情的にその相手国に罵詈讒謗を加える人たちが増えて来ていると言うようなことの裏に、このような小説を記録的なベストセラーに押し上げる流れと通底するものを感じて、この国の将来に大きな危惧を持たざるを得ない。
 ナショナリズムはオリンピック止まりにして、無害なものに飼いならすべきだ。

2014年1月5日(日)
アートの力

 昨夜たまたま盲目のピアニスト辻井伸之さんが、シンガポールやベトナムで演奏したり地元の音楽家たちと交流したりする番組をテレビで見た。彼の見事な演奏と、彼の演奏に涙ぐみ声を詰まらせて感動を伝えようとする観客の姿を見ながら、音楽と言うものは凄いものだなと思った。音楽に限らず美術などにもあり得ることだが、国境や民族や肌の色を全く超越して感動を伝え共有できると言うことをまざまざと感じさせられて、良いものを見たと思った。
 このところ暗いイメージばかりに支配されていた、私のハートも生きかえる気分だった。全世界が政治や宗教や民族主義などによって分断されていて、あちこちで摩擦が起きていて、毎年多数の死者や被害者や難民の生み出している一方で、アートの世界では世界は一つにつながり得ると言う希望を得ることが出来、それに携わる一人としての生きがいを改めて確かめたのだった。
 この国には優れたアーティストが多数いて世界的にも活躍している。
積極的平和主義などと言うのなら軍備の増強などではなく、これらの人材を育てその力を生かして、文化国家として世界平和に貢献するべきではないだろうか。

2013年12月25日(水)
憲法と私

 特定秘密保護法が成立してしまったことで、我々はこの国の将来に大きな不安を抱えこむことになってしまったのだが、ことに腹が立ち政権への不信感を高めたのは、福島での公聴会で自民推薦の人も含めてほとんどの供述人が反対意見だったのにもかかわらず、翌日衆院で強行採決をしたこと、同様に参院での強行の前日には埼玉での公聴会があったこと、そしてまた政権が募集したパブリックコメントでも7割が反対意見だったにもかかわらず、無視して法案を多数を頼みに押し切ってしまったことだ。これらは現政権が民意なんてものは考慮しませんよと言うことを宣言したようなもので、表向き公聴会等はやって民意尊重の素振りだけ見せても、実際は自分たちの判断だけで進めるよと言うことで、意見を述べた方々の気持ちを踏みにじるやり方は非礼を通り越して残忍とも思え、まるでファシストのやり方だ。まさかまだ反対意見の表明者に司直の手が伸びたりしてはこないだろうが、これでは、秘密保護法が施行されてしまえばその先何が起こるか知れたものではない。秘密保護法を盾に取れば、かつて行われたような赤狩りも可能になるのではないか。それは基本的人権の徹底的な破壊である。
 今の私にとっては、このような形で現憲法がなし崩しに骨抜きにされて行くのを見ているのが、実にせつない。既に武器輸出3原則の緩和が進められていて、実際にスーダンで韓国軍に1万発の銃弾を自衛隊が供与すると言うようなことも起き、このあと集団自衛権の行使が認められれば、9条もないがしろにされてしまうことになり、憲法の目玉の部分が無いも同然にされてしまう。
 そこで考えるのだが、この何ともせつない喪失感のような感覚は、どこから生じるのだろうかと。一つには私が戦前の全体主義の時代を経験していることから、現憲法によって補償される自由と人権の中で暮らしてこれまで来れた幸せをあらためて思うことによるのだろう。しかし今再び戦前のような時代が来るのではないかと言う不安が、大きく膨らんで来ていると感じている。
 現憲法をアメリカによって押し付けられたと言うような話は、ためにするでたらめであると思う。それどころか、あの忌まわしい戦争で日本人だけでも300万を超す命の犠牲を払って、この国が得た最大の宝物であったと私は思っている。この憲法が骨抜きになることはそれこそ、あの戦争で失われた人命に対する冒涜であると思う。戦闘で死ぬのならまだしも、南方の密林の中などをさまよいながら飢餓や病魔に侵されて次々と倒れて行った若者たちや、厳寒のシベリヤの抑留所で重労働と飢餓の中に暮らした人たちにとって、如何に今のような自由で平和な祖国が望まれたことか。彼らの犠牲の上に、この無謀な戦争への反省から生まれたのがこの憲法であり、この憲法で民主国家として再出発できたことが、我々後を継ぐ者たちにとっていかばかり幸せなことであったことか。その新制度のもとでこの国は復興し、高度成長期を経て、平和で豊かな暮らしを多くの国民が享受できるようになってきたのではないか。そしてもし憲法第9条が無かったら、既にこの国は幾たびか戦争に巻き込まれ、国民はいまだに疲弊の中にさまよいつづけていたのではないか。
 この憲法は理想の追及の結果であって、高々と掲げられた民主主義国家の目標である。今のところ現実とは合わず、自衛隊の存在など矛盾した部分が多く、未だに民主主義も名ばかりのままの部分も多いようだが、それは理想と言うものの宿命で、ある程度致し方ないことである。このような高い理想を掲げている国として、世界中から敬意と好意を持って迎えられており、多くの良識ある者からはそれに続きたいとの感想が声が寄せられていると聞く。
 その大切な憲法を今や骨抜きにし、更には改悪しようとたくらむ勢力が政権を取り、それも両院で多数を獲得して今後少なくとも3年間はその策謀を続けえる状況にある。なぜそんな勢力に、この国の国民はそのような権力を与えてしまったのか、と思うと情けなくなる。
 近隣の数か国が領土問題や歴史問題を持ち出して、この国を脅迫していると言う現実から恐怖にとらわれて、ナショナリズムを鼓吹して軍備を拡張し、アメリカと組んで外圧に対抗しようと言うような景気の良いことを言う人がいて、それに依存しようとする人々を増やしている。日本人は礼節の民と言うが、自分の意見を持とうとせずその場の空気を読んで、それに合わせる依存性の強い民族のようでもあるようだ。特に強いものやカッコよいものに付和雷同する傾向がある。
 そのこと自体に危険を生み出す可能性があり、、ナショナリズムの思想を担った現政権があるからなおさら、過去の被害国家が歴史問題をことさらに持ち出したりして、反発を強めているのではないか。
困ったことに、今の政権の誕生に前後して、それまで危ぶまれてきたヨーロッパの経済問題が一段落しアメリカも好況期を迎えたということで、円安などの経済的な追い風が吹いている。アベノミックスとか調子の良いことを言っているが、実際は背景にそのような好条件があって得た幸運の面が強いのではないか。
 今日は実は表示とは違って大晦日。こんな文章書くにも手間取るようになってしまった。トシは取りたくないものだ。この間に靖国問題も起きた。それについて書き出せばまたきりがないだろう。今日はこれでやめる。来年はいくらか明るい見通しの年になるだろうか。これまでにも暗いトンネルはいくつも潜り抜けてきた。いかに長いトンネルでもいつかは抜けると思って、人生ここまで歩んできた。今回のは相当長いトンネルになりそうだが、人生のはじめに当たって経験した荒廃の時代を、終末に至ってまた経験することになったりしないように願っている。

2013年11月26日(火)
日展問題から

 昨夜非通知の無言電話が短い間隔で3回かかってきた。三回目は黙ってすぐ切ったらそれ以上はかかってこなかった。これまでも時たま非通知の無言電話がかかったことはあるが、今回のは明らかに嫌がらせだなと感じた。その契機になったものはと考えれば23日の朝日朝刊の声欄に掲載の日展問題に関する私の投稿以外に思い当たるものは無い。
 私はこの問題についての朝日新聞のスクープとそれに続くキャンペーンをを評価したい。日展の封建的な体質をいろいろな角度からえぐっていた。ただし一般大衆にはあまり縁のない世界のことで、コップの中の嵐に過ぎないのだから、それを限られた紙面の中でわかりやすく解説するのはなかなか難しいことだ。だから、美術界にある者から見れば今さら何をと思われるような生ぬるさを感じざるを得ないが、とにかくこれまでいくらでも流れていた風説に対するに、物証を掴んでのスクープだったわけで、これまでもうわさとしては聞いていた日展の体質的な腐敗を表面化して見せてくれた。
 しかし一か月近く続いたそのキャンペーンも、私の投稿で終わったようだ。この間肝心の美術界からの反響がほとんどなかったことは、情けないしいささか空恐ろしい感じを抱かせもする。つまり、いわゆる日展を頂点とする画壇と言う世界に身を置く者としては、画家も評論家も画商もジャーナリストも、うっかり口を出せば飯の食い上げになりかねない問題と言うことなのだろう。だから私のような絵で食うことを早々に諦めてしまったような者以外に、この問題に手を出せる画家はいないだろうと思い、敢えて口を出したのだ。
 それにしても画壇の締め付けは相変わらず厳しいようだ。今月のある有力な美術ジャーナル誌も、日展とその作品紹介を全面に掲げながら、この問題には一切触れていなかった。いったいこの国には美術評論家とかいう種族は生息していないのかと思われるような状況だ。よほど怖いのだろうなと思い、生来臆病な私も一抹の不安におびえざるを得ない。天才中村正義が死後に至るまでも、画壇から追放の憂き目を見たという前例もある。彼の場合は彼の才能を見抜いた義侠心ある一画商と映画界などの文化人がバックアップしてくれたから、食うに困るようなことは無く、制作を続けることもでき作品も保存されたから良かったが。
 そして今思うのは蟷螂の鎌と言う言葉。私のような無名画家の発言などは、巨大な熊に一匹のアリが食いついたようなものだろう。光風、一水、春陽、白日、東光などなど傘下の売り絵画家集団の頂点に立つ日展が、この程度のことでどうかなるとは思えない。彼らは政界や財界などのお偉いさんを顧客としていっぱい抱えているわけで、対抗できるのは法に従わねばならぬ国家権力かと思い、それが展覧会や団体の内容にまで食い込んで来るようになっては困るが、新美術館を貸し出す立場にある文化庁がその会場使用権を武器に、問題のある団体に対して指導力を発揮することはできるのではないか、日展にとっての具体的な打撃はなにかと考えてのの「6週間に及ぶ会場貸し出しと言う日展の優遇をやめるべきだ」との私の投稿であった。
 この問題で私は朝日新聞に3回投稿して一つが採用された。ツイッターやfacebookにも書き込みをした。おかげで作品制作の暇と力がだいぶそがれてしまった。今は「市民のための美術入門」の第3冊目の編集中で忙しいのだ。もう5年も若ければもっと気楽にす早く仕事が出来るのだろうが、こんな文章一つ書くのでさえ手間取っているのだからなおさらだ。全くトシは取りたくないものだ。
 それにしても汎美の存在は貴重だと思う。私の送ったメールに対する返事からも、日展に限らぬ公募団体のの金権まみれ権力者次第の、封建的体質を示す例をいくつか聞くことが出来た。世界中でこの国のように公募団体展が多い国は無い。そのことがこの国の美術界の際立った特徴であり、そのおかげでの美術表現に生き甲斐を見出している人の多さを思うと、その存在は貴重だと思う。しかしまたその分厚い作家層から国際的な評価を得るような美術家が育ってこないことには、作家の間に上下の人間関係を作る審査の弊害が大きいと思われ、その頂点に君臨する日展に見られるがごとき旧時代の家元制度そのままのような、封建的権威主義や金権支配が日本の美術界全体を覆っているともいえて、世界の美術界に対するこの国の後進性を公募団体展の大きなデメリットとして挙げることも出来る。そのなかで上下の人間関係を極力排除した、自由な表現の発表の場として汎美展がある。
 汎美は公募団体展の最も理想的な形であると思う。しかし理想的なものは現実との軋轢を生みやすく、問題点も生じる。それを解決するのは会員と出品者の積極的意欲的な参加である。

2013年10月26日(土)
グチしか書けない

 長い間この欄、ご無沙汰でした。これまで暑さには強いと自負していたのに、今年の長い真夏日の連続にはいささか弱気になりました。トシですね。何とか越したと思うと急激な気温の降下があったりで、体調なんとなくよくありません。物忘れやボケミスが増え、ウオーキングは続けていますがその都度体力の減衰を感じますしで、急激に老化が進んだように感じ、気分的には無気力に陥りがちです。
 その上このところなにやかやと忙しい。9月から10月前半にかけて、行動展に汎美秋季展と秋のお祭りの期間があって、それはそれぞれそれなりに楽しんで、踏ん張って参加したあとの疲れもあるようです。で、今は市民のための美術入門の3冊目、油絵のすすめの編集に取り掛かっているのですが、これがなかなかの難物で、どう進めてよいやら毎日手探り状態。文章は出来上がっていてそれを左ページにし、右ページにそれに対応した図版やイラストを入れていくのですが、前の2冊の時には活発に働いた頭がさっぱり働いてくれません。
 春の行動tokyo展と汎美展のための制作にも追われています。キャンバスを前にして、焦燥感があってはろくな表現は望めないと思い心を鎮めねばと思うのですが、そのためにまた時間が浪費されてしまいます。
 その上にかみさんの体調不調がのしかかっています。彼女も同様に夏を越してぐっと老化が進んだようで、肺がん切除の後遺症もますますひどいようです。手術跡の痛みか、切除によって生じた逆流性食道炎のためか、胸の痛みが常にあると言います。それを何とかできないかと相談に乗ってもらえそうな医者を探しているのですが、見当たりません。苦痛を訴えても相手にしてもらえません。
この先生きている限りこの苦痛から逃れられないのではあまりに可哀そうと思うのですが、私にはどうしようもありません。
 また世の中の動きも大いに気がかりです。戦前の態勢を復活させて民主主義への方向からそれ、戦争をできる国にしようと言う現政権の動きが、国会の開会に合わせてあからさまな形で表れて来ています。特別秘密保護法案が閣議で決定されたとか聞きますし、憲法の解釈を捻じ曲げての集団的自衛権も間もなく設定するでしょう。全てこの国をアメリカと一緒に戦える国にしようとする意思の表れに見えます。TPPや消費増税や企業所得減税とかは財界主導での経済活性化に名を借りながら、強いもの勝ちの格差社会をますます強める動きではないですか。それに対してあちこちから批判や反対の声が上がっているのですが、与党多数の国会ではどうしようもないようです。
 一方で福島原発の汚染水問題が深刻さを増しています。あのようなチャチなタンクに半減期の長い放射能を含んだ水をためていること自体に、もともと無理があります。あちこちから漏れだしたり台風の度に溢れたり、これで再び強い地震に見舞われたらどうなるのでしょう。頼りのALPSとやらは故障続きで未だに正常の稼働に入っていません。汚染水は枯れることなく延々と増え続きます。海に流れ込み続ければ、世界中に累を及ぼす環境汚染です。
 環境と言えば温暖化の問題。この夏の異常に多発した気象災害。大島に惨害をもたらした台風の多発もさることながら、日本中あちこちで起きた集中豪雨禍や突風災害。異常高温の連続での熱中症の多発。その根を探れば、いずれも地球温暖化に至ります。便利な電気や車にすっかり頼り切ってしまっている人類が、自分たちの未来を破壊しようとしています。必要以上のエネルギーの浪費は未来の人類に対する犯罪ではないでしょうか。それなのにさらなる大量電力の消費になるリニア新幹線の建設や各種大規模開発が、経済活性化と言う錦の御旗の元に行われようとしています。もっともこれこそグローバルな問題であってこの国の中だけで考えてもどうしようもない問題。今の中国やインドやアフリカ諸国の数十億の人々が先進国並みのインフラ整備や車社会を求めて、日々成長を続けています。その先に地球環境がどうなるのかについては想像を絶するものがります。我々に出来ることはせいぜい省エネ節電節水の努力くらいなものですが、それすら資本主義のルールによって排斥されてしまっているようです。
 久しぶり書いてみたらグチの羅列に終わってしまいました。秋と言う季節のせいもあるかとは思いますが、トシは取りたくないものですね。

2013年8月16日(金)
8月15日

 日本が戦争に負けた日。駆り出されて死地に追いやられた若者ばかりでなく原爆や空爆での市民犠牲者も含めて、わが国だけでも数百万の悲惨な死傷と社会的経済的な混乱という結果を得た日。そのことを深く反省し今後に思いを致すべき日。しかし近頃は高まる近隣諸国との対立の意識から、戦争について、この国の安全と平和をいかに守るかについての議論も高まっているのだが、私は議論の出発点に置くべきことが忘れられているのではないかとの危惧を持つ。
 過去の戦争の悲惨を伝えるのも大切だが、社会情勢の変化もあり、戦争そのもののありようもすでに大きく様変わりしていると言うことを忘れてはいけない。第一にベトナム以後のどの戦争を見ても戦争になんらかの解決を期待することができなくなっていて、ただテロや暴力の支配する混乱の泥沼だけを残す結果になっていること。またこの国で見れば、食料の70%近くに石油などの多くの資源を海外からの輸入に頼っている現状を思えば、その輸入のパイプを閉ざされればたちまち国全体が干上がってしまう現状。あるいは59基もある原発の一つでも破壊されれば国内に非常の混乱が生じ、広大な国土を失いかねないと言うこともあるなどなど、その辺りに思いを致せば、「この国は絶対に戦争を始めても、巻き込まれてもいけない」と言うことを大前提にして考えねばならないはずではないか。少子化の現状からは国を守るためとはいえ、貴重な若い命を多く喪えばその後のこの国が立ち行かなくなることも目に見えている。
 その基本点から見れば、平和憲法の破棄や国防軍の設置や軍備の増強、そして集団的自衛権の行使などは周辺諸国との緊張を高めたり戦争に巻き込まれる危険を高めるだけでなく、貴重な国費を無駄にするだけの愚策だと思う。
 今やるべきことは周辺諸国との和解の道を探ることであり、いかなる問題でも武力の威嚇を背景にするようなことなく、話し合いで解決していく平和外交の道であろう。子供の喧嘩みたいにあちらがこぶしを振り上げたからと言って、こちらもより高く振り上げるようなまねはするべきではない。こぶしを振り上げてその持って行きどころを過てば、戦争の危険が生じる。
 それよりも喫近の問題は3.11の被災地の復興や福島第1原発の処理であり、最近頻発している気象災害に見られる災害列島としての対策の充実であろう。
 

2013年7月23日(火)
いやはや

 今回の選挙結果に関して、今朝の新聞に「子孫に負の遺産を残す項目には目をつぶって、目先の景気回復だけを選択した結果だ」という論があった。確かに今現実の生活が大事なことはわかるが、改憲も原発も財政もTPPも目に入らない人々が多いのかと思うと、絶望的な気分にもなる。50%そこそこの低投票率についても、こんな大事な時に無関心を決め込む者が多いことにがっくりくる。  昨日の新聞にあった「政治を軽蔑するものは、軽蔑すべき政治にしかありつけない。」と言うトーマス・マンの言葉が現実にならねば良いがと思い、今日の新聞ではチャーチルの「民主主義は最悪の制度である、ただしそれ以外のすべての政治制度を除けば」という言葉にもなるほどと思う。いかに悪い結果だと思ってもこの国は民主主義国家であり、そこでこれまで培われた政治制度の結果であるとなれば、この選挙結果については甘んじて受け入れねばなるまいいし、今後の動きに目を向け続けなけらばなるまいということだ。
 
なにはともあれ政権党は国会のねじれを解消して両院で過半数の議席を得たのだから、弱小野党群がいかに騒ごうが、思うままの政治運営をできることになったと言うことだ。怖いなと思う。あとは首班をはじめとする閣僚や政権党員に、自重と良識を期待していくしかあるまいが、首班のこれまでの言動や彼らの党の新憲法草案を見る限りでは、これがそのまま通るならこの国の将来は暗いと思わざるを得ないし、96条を変えて政権の都合次第で改憲できるようになれば、独裁国家になる可能性も非現実の妄想とは思えない。
 悲観してばかりいても仕方がないので、このように考える人もいることに慰めを求めて、私が尊敬の念を禁じ得ないペシャワール会現地代表中村哲さんの文章の一部を記しておきましょう
 「人は大自然の中で身を寄せ合って生きています。そして人もまた自然の一部です。このことを忘れると、私たちの考えは宙に浮いてしまいます。科学技術で自然を制御できると錯覚し、不老不死の夢が叶うかのように考える。目先の満足のためなら暴力も厭わず、生死さえ軽く考える。生かされている恩恵を忘れ、くらい妬みや不安に支配される。現地で見ていると大は戦争から小はいじめや自殺に至るまで、この錯覚が影を落としているように思えます。
 アフガニスタンの現場から見る限り、時代は明らかに一つの破局に向かっています。人がこの巨大な錯覚の体系にとどまる限り、希望はありません。希望を演出することはできても、本当ではありません。
 干ばつの対策に奔走した立場から見ると、日本ほど豊かな国土に恵まれた国はありません。敗戦直後、飢餓から立ち直らせ、戦いで傷ついた人々を慰めたのは、郷土の山河と自然でした。その恵みによって生かされてきたことは、学校では教えられませんでした。おそらく、郷土を築いてきた祖先たちは、このことを知っていました。
 株価や経済成長は、恵みを語りません。武力は、強度や国民を守りません。三十年間の日本の変化を回顧すると、哀しいものがあります。「身を寄せ合う」とは、人が和し、弱者を労わることです。和して同ぜず、ここに積極的な価値と希望があります。平凡ですがこれが30年の結論です。」
 30年間に亘り現地に住んで、そこの住民のために献身的な活動をしてきた、医師として現地人の信頼を集め、貧困の元が水の不足と農地の荒廃にあると知ると、時には自ら重機を動かし、住民を指導して井戸を掘り灌漑水路を作り続けてきた人の言葉にはそれなりの重みがあります。

2013年6月30日(日)
7月になるが

 都議選が終わって、護憲と脱原発を明確に掲げた共産党が議席を増やしたのは結構なことだと思うが、それが低投票率にも支えられていると思い、同じ原理で自民と公明が全員当選で過半数を占めたのだと思へば喜べるものではないなと思う。今日の朝日新聞の天声人語に「棄権は政治不信ではなくて政治過信であり、依存である」と言う意見が紹介されていたがまったくその通りだと思う。同じような心理から、自立した判断がもてず寄らば大樹の陰とばかり、強いリーダーに凭れてしまう風潮が今の安部人気を支えているのではないかとも思う。このままでは来月の参院選挙も結果は目に見えている。都議選では根強い共産主義や社会主義へのアレルギーがやや緩和されたのかなとは思わされたがこの程度の票数増で、参院選ではその方面の議席増にはなり得ないだろう。また仮に若干の議席増に結び付いたところで、批判勢力としてはまだまだ小さすぎて安部政権の独走に歯止めをかけるまでには至らないだろう。アベノミックスは、市況の乱高下があっても依然として一般の人気を保っており、経済や雇用が憲法や原発の問題に先行して現政権を支えている。
 もっとも私はアベノミクスによる好況は、そう長続きはしないだろうと見ている。長い目で見れば、環境問題(この国では少子化と高齢化も)の暗雲が安易な消費増大に警告を発し続けている以上、世界の経済もこの国の経済も、今後緩やかな下降線を辿るしかいないだろうという判断が底にある。だから3本の矢とか何とかで景気を奮い立てようとしても、それは一時的なバブルを生み出すのがせいぜいで、かえって大きな破綻を生み出しかねない危険な賭けになってしまっているのではないかと思うのだ。ただし
現政権は来月の参院選まで、この表面的な好況を維持できればよいと考えているのだろう。その後は野となれ山となれで、多数を背景とした一党独裁に近い右傾国家の成立に邁進するのだろう。
 環境問題と言えば、北極圏の氷面積が最少記録に至ったと言う報道がある。氷の表面は太陽光線を反射して地球温度の抑制の機能を保ってきたが、その限界にきていると言う。つまりこれ以上氷が減れば海水温度が急激に上昇し、ますます氷の面積を縮小して温度の抑制の機能が破壊されてしまうだろうと言うことだ。また沖縄周辺のサンゴ礁が海水温度の上昇で白化減少を起こして死滅しつつあるという報道もある。サンゴは長い地球の歴史の中で海水に熔けた炭酸ガスを吸収して石灰岩を造成してきた。そのサンゴが世界的に減少の一途をたどっていると言うことは、本当はずいぶん怖いことだと思う。世界的な規模での森林の伐採や砂漠化とともに、地球温暖化は加速度的に強まりかねないと言うことだと思う。それにいわゆる後進国の経済成長が進み、その国々の国民が先進国並みにエネルギーを消費するようになったらどうなることかと言う問題もある。
 太陽活動の減少期だからとかいうことで気温の上昇が抑えられているとう説もあるが、それは一時的なことであろうし、このまま進めばそう遠くは無い将来に地球は人類の居住の限界を超えるのではないか。今年の夏は既に関東を除いて異常高温に悩まさてている地域があるし、これからの盛夏はどうなるやら、頑健とは言いかねる後期高齢者は無事過ごせるかの不安に悩まされる。
 原子力エネルギーが人類の手におえない厄介者であることが分かった今、省エネだけが人類存続のカギを握っているのだと思う。クリーンエネルギーなら良いだろうと言っても、エネルギーである以上いくらかなりとも地球温暖化に影響はあるのである。

2013年6月6日(木)
河口湖と富士山と

 1日(土)から民宿二泊の汎美の写生会(自然に親しむ会)に参加して河口湖に行き、富士山を描いてきた。直前に梅雨入りが発表されて危ぶまれたが、お天気は三日とも晴れのち曇りで、曇っても富士山は良く見えていた。
 参加者は10人。北岸の大石集落の中でも湖畔に一番近いと見て選んだ民宿は、思惑通り各種の花に彩られた大石公園に隣接し、湖水越しの富士のビュウーポイントはいくらでもあったから、皆それぞれでスケッチに専念し、恒例の二晩目夕食後の「作品の前で語り合う会」は、和気あいあいでお互いの作品を楽しんだ。私は油彩でも水彩でも写生はデッサンの勉強のうちと思っているから、対象を客観的にありのままに出来るだけ忠実に描き、遠近感や空気感や光の感じを大事にして描くのだが、みなさんの作品はそれぞれのイメージに従った主観的表現的な要素が多く、遠近法などが狂っていたとしても、その方が生きの良い表現になっていて面白かったのだ。
 私の収穫は10号の油彩2点と、横長スケッチブックの見開き(幅約63センチ)の水彩画。油彩は午前一枚午後一枚それぞれ二回現場で描いて仕上げたが、日によっての天候の変化でなかなか難しかった。水彩も朝食前二回で、横長画面を生かして長々と広がる裾野の描く2字曲線を描いてみた。

 話は別、FACE BOOKで読んだのだが、アベノミックスとかで円安が進み証券市場が活気づいたおかげで、この半年の間にある会社の会長は1兆円儲けたと言われているそうだ。6か月間として計算すれば一日に55億円で一時間当たりは2億3千万円の収入になるとさ。
 一方に今のこの国には、一日12時間以上も健康を害するような過酷な条件で働いても、月収は20万以下で、結婚して家族を養うなんてとても無理と言うような若い人や、わずかな年金暮らしの老人がザラにいると言うことを考えると、その不公平には腹の立つ話です。自由主義経済とか言うものの欠陥ですね。もっとも
こんな巨額なカネを一体何に使うのだろうと思うと、ばかばかしくもなるのだが。FACE BOOKでの紹介者は「いくらカネがあっても、飯は一日三回しか食べられないのだ」と言うピカソの言葉を付け加えていた。
 アベノミックスで景気が好転したようにマスコミも持ち上げているけど、実際は儲けているのは金持ちと大企業だけで、我々庶民には関係のないことのようだ。その上円安とインフレ政策で物価が上がり、そのうち消費税の値上げがやってくる。生活保護法の改悪で受給の道も狭められて、憲法に保障された生活権もあやふい。

2013年5月4日(土)
憲法

 昨日は憲法記念日。改憲、護憲の論議がかまびすしい。私は護憲の立場だが、どうも旗色は悪いらしい。現政権は96条の改変を夏の参院選挙の争点に据えると言う。政権党が衆院の単独過半数である上に、戦前の体制に近づけようと言う右翼政党が優位を占めていて,、参院選挙でも同じような勢力配分になるなら、手をつないだこれらの勢力によって改変は直ちに実行されるだろう。それを思うと憂鬱になる。憂鬱になる原因は、私にとって論理的に正しいと思われる意見が、どうも少数派らしいと言うところにある。96条は憲法改変の手続きを決めた条文で、衆参両議院でそれぞれ3分の2以上の賛成で発議し、国民投票によって投票数の過半数えることで改変できると言うことだ。この改変に必要な越すべきハードルをもっと低くして、2分の1にしようと言うのである。そうなれば過半数を超える政権が出来れば、いつでも憲法は改変できることになる。憲法と言うものの本来の性質からしてこの論は非常に危険である。権力から国民を守るために設けられているはずの憲法が、政権によって容易に改変できるようになると言うことになるのだから、憲法そのものの本来あるべき姿の破壊であり、憲法をその時の権力の道具にししまうと言うことになってしまうではないか。近代国家の憲法はどこでも改変には高いハードルを設けているとのことである。ところが、以上のような私には正しいと思える論理が今のこの国では通らないようなのだ。
 内憂が重なっているところへ、更にそれが外患によって煽られている内外の情勢が、大多数を感情的にしていて、論理より感情が優先しているから冷静な判断が通じなくなっているかに見える。韓国人に対するあからさまなパッシングや沖縄県民に対するそれなど我々からは考えられないような、不条理でヒステリックとも取れる言動をとる人が増えて来ている。これで戦前のような個人の人権より国家の存立を優先するような憲法が出来たら、この国はどういうことになって行くのだろうか。
 今のところ政権のトップは人気が高い。近年の状況が最悪だったからなおさらなのだろうが、政治家に強いリーダーシップを求めるような人々が増えて来ていて、そのような人々にとっては久々に現れた頼もしいリーダーと見えるらしい。幸か不幸か彼の経済対策が目下効果を発揮して、少なくとも為替レートと証券取引の範囲では経済が活気付いていて、人気を高めている。このまま進めば第一次大戦後の大恐慌の後のファシズム台頭の形が踏襲されかねない。内憂と外患の不安におびえる群衆に対しては国の内外に敵を作り、それに多数の力を背景に挑戦して見せるようなことは昔から権力者の取る常道であった。友愛を勧めるより憎悪をあおる方が容易であり、多数の支持を得るには効果的である。怖い時代が再びこの国に訪れるのではないかと思うと、身が細る様な不安に襲われる。

2013年3月25日(月)

 寒い冬が長引いていたが、暖かくなると急激に春が進行し始めた。都内の桜はすでに満開。我が家の60年くらいの大桜も明日辺りが満開か。ただしトシで樹勢に限界が来ているようで、花がだいぶまばらになってきた感じは否めない。5本ある椿も次々と開いて行く。特に白の羽衣がいかにも純白で、正面から見るとふっくらした見事な円形の花の美しさは格別だ。見ているとこちらの気分までふっくらしたものになってくる。先の金曜日に奥武蔵の山道を歩いてきたが、道端のオオイヌノフグリの群落が満天の星を思わせて美しかった。どうして花はこのように美しく咲くのかと不思議に思う。受精のために虫を誘うためだと言うだけでは納得のいかない過剰な美しさだ。
 それにしても今年の春の進行は急激に過ぎるのではないか。ウワッと一気に開いてさっさと過ぎ去り、たちまち梅雨が来て暑い夏がやってくるのではないだろうか。これも温暖化の進行による気象の変化の一部だろうか。原発の問題と不況脱却という掛け声にかきけされがれがちになっている温暖化の問題にも思いを回らさねばならないのではないか。
 こうしているあいだにも北極海の氷が薄くなり白熊の生息圏は狭まり、各地の氷河が融けて海面は徐々に上昇しているはずだ。気象はますます荒く変動するようになり、干ばつや風水害が多発するようになって行く。政財界はデフレからインフレへなどと言って消費をあおっているが、消費が増えれば温室化ガスも増えて地球全体の気温を押し上げていく。シェルオイルとかメタンハイドレードとか新たなエネルギー資源の登場を喜ぶ気持ちもほどほどにしないと、後が怖いと言うことになっていく。そのあとの怖い部分の影響を受けるのは、我々ののちの世代の人類である。既に温室化ガスだけでなく、熱を用いること自体を避けねばならない段階に来ていると言う話だから、原発が環境に良いなんてことももう言えない。
 ところでこの春の明るかるべき季節に黒い暗雲を思わせて私たちを不安に陥れているのがTPPと言う奴。アメリカのご機嫌取りに汲々のせいか、大企業にせっつかれているせいか、首相はなんとしても参加に漕ぎ着けたいつもりのようで、関税障壁の一部温存が可能のようなことを言い立てているが、基本的にその完全撤廃が入会の原則であるとの話で、仮に温存できたとしてもごく小規模に一時的な低い障壁しか残せないだろうと見るのが一般のようだ。となると農業の荒廃は目に見えており農産物の自給率は13%まで落ちると言うのが政庁の試算だと言うのをはじめとし、国民健康保険の制度も有名無実化し、薬価など全ての面で安い外国産品が出回り、食品の遺伝子操作物や畜産物の検疫検査もままならなくなり、あらゆる分野で外国特にアメリカからの資本の流入にさらされると言うことで、これでは日本の庶民の生活は大嵐の見舞われることになりそうだ。アメリカ式自由主義経済の侵略で、これまで積み上げられてきた生活保護などの社会主義的な施策も維持できなくなるようだ。銃などの武器の規制さえ守れないのかもしれない。輸出産業や外国資本と結びついた一部の金持ちだけは豊かになるかもしれないが、一般庶民の生活はひどいことになりそうで、全く先行きは不安な黒い雲の中。

2013年1月27日(日)
悲劇から

 アルジェリアの砂漠の中の悲劇はまことに心が痛む。有能な企業戦士たちが10人もテロの銃弾に倒れてしまった。砂漠の過酷な環境の中で、明日を夢見てまじめに働いていた彼らの悔しさも、遺族の悲しみも果てしなく深いだろう。ただ中東は言わば常に戦場なのであって、このようなリスクの可能性はあり得ることであった。そこに送り込まれるからは企業戦士はそのまま戦場に臨む戦士であって、彼らを送り込む企業にもその覚悟と責任が必要なのではなかったかと思う。開発とは言え結局は企業の利益を上げるための事業であって、現地にとってはある種の侵略であり反発の対象であるとの認識と反省があるべきではないか。これを国策に沿った事業と見るなら、国にも多大の責任がある。
 このような事件が起こる度に、まったく採算を度外視してアフガンの農村で現地の人々に溶け込んで、その人たちの役に立つ事業を推進している中村哲氏をはじめとする、ペシャワール会のことが頭に浮かぶ。そのように尽くしていてもなお数年前に痛ましい犠牲者を出している、と言うことは中東の地域の危険性と政情の難しさを表しているのだが。
 現政権はこれlだから自衛隊法を改定して、海外でも戦える軍隊にすべきだとしているようだが、そうなればいったい誰がその海外派遣の自衛隊員の命を守ってくれるのだろうか。いたずらに戦死者を増やすばかりではないのか。ましてや憲法を改定して国防軍にして、同盟国(主にアメリカ)の戦争に加担できるようにしたりすれば、戦死は日常のことになりかねない。派遣する側は気軽に人員を配置するだろうが、される者は命がけのつらい立場で、これまでもイラクに派遣された自衛隊員の帰国後の自殺が増えているとか、アメリカでもアフガニスタン帰りの兵士の自殺が急増して対策に悩まされているとか言う話が聞こえてくる。そんな中で自衛隊を国防軍に改めたりすることに、我々庶民にとって何らかの利益があるのだろうか。むしろこれまで通り、平和憲法を守りそれを防波堤にして、武力に頼らずひたすら外交努力で、問題を解決の努力を続けていくのが良いのではないか。
 平和憲法のために世界中から軽蔑されていると言った御仁がいるが、私がこれまで聞いた話の中では、平和憲法のおかげでこの国をうらやましがり希望の星のように考えている人々が世界中に多数いるはずだ。派遣する側つまり上流階級と派遣される側つまり庶民階級の違いが、そのような感覚の相違になっているのではないかと思う。軍隊が出来ればどんな過酷な命令でも従わねばなら無い厳格な上下関係ができ、死地に追い込まれるのはまず貧しい庶民階級の若者である。
 それなのにその比較的に若い世代に、カッコいいからと再軍備を歓迎するムードがあるのは矛盾である。あれだけ文学でも映画や演劇でも美術でも、平和の尊さや戦争の悲惨が表現されてきたのに、それらに目を向けない戦争を知らない人々が圧倒的に増えてしまったのかと寒々と思う。

2012年12月19日(水)
12.16が過ぎて

 選挙の結果はまことに残念なことになりました。脱原発も護憲を消し飛んでしまいましたね。3.11の津波に続く雪崩現象として12.16が記録されるようなことにならねば良いのですが。つまり右傾化(ファッショ化)の出発点として。
 小選挙区制の怖さですね。同日投票の比例代表の得票率ではそれほどでもなかったのに小選挙区制圧勝の安部自民が単独で過半数、連立で3分の2を超えて参院の議決を無視できる体制が出来てしまった。雪崩現象とでも言うべきでしょうか、言わば独裁政権に近いものが出来てしまった。現政権があまりに頼りなかったから、そこへ尖閣や竹島やでナショナリズムが高揚し、北朝鮮のミサイルまでもが後押ししたおかげですかね。それよりも「金回りがいくらかよくなりそうだ」辺りが決め手だったのかもしれませんが。
 維新とかみんなとやらが伸びたのも困ったことです。これと新政権が結び付けば憲法改変の国会審議に入れることになる。今さら国防軍にしたり平和憲法を排除したりしても、近隣諸国との緊張関係がさらに深まるでしょうし、実際に戦争を起こせるわけもないのだから自衛隊は自衛隊のままでよいではないかと思うし、下手に軍部と言うようなものが権力を持ってくると国政がゆがめられ、国防予算が膨らんでますます民政が圧迫されるくらいが落ちでしょう。それよりもこれまで70年近く戦争を起こすことも巻き込まれることもなかったおかげで、これまでの経済成長があり今の日本の平和と安定があることを思えば、ますます平和の防壁としての平和憲法を大事にすべきだと思います。尖閣辺りの騒ぎを見ても戦争は案外容易に起こりえるものですから。
 今の状況は第一次大戦後の混乱から第二次大戦に向けて、ファシズムが台頭した時期にに似ているのではないかと言う不安を感じます。自民党の憲法草案は現憲法に比べて国民の基本的人権を制約し国に対する義務を強めるものだそうです。また第二次大戦以前の治安維持法に象徴されるような、暗い自由にものが言えない時代が再来するのではないかと言う不安です。
 自民は財界と癒着しているから脱原発も立ち消えでしょう。すでに検査をパスしたものは稼働すると言っていますね。しかし一体これ以上核燃料とその廃棄物を増やしてどうしようと言うのでしょう。どこにも捨て場がない危険な核ごみをどう始末しようと言うのでしょう。もっともこの核ゴミについて言えば廃炉にした場合に出る大量の核廃棄物を含めて、稼働しようがしまいがその危険性の存在には変わりは無いので、むしろ稼働している方が安全と言えなくもないのですが。
とにかくなるべく早い時期に全原発を廃炉にする道筋をつくるべきでしょう。
 それにしても安全神話の陰に隠れて原発政策を推進してきた当の自民党が、その結果起きた悲惨な事故に対して責任を取るどころか謝罪もしないで、再び原発政策を推進しかねない状況はおぞましいとしか言いようがないですね。

2012年12月15日(土)
最高裁裁判官資格審査

 衆院議員の選挙の際には毎回この投票も行われるが、資格がないと判断した裁判官にX印をつける現行制度では、印をつけなければ承認したことになるのだし、資料は一片の公報だけでほとんど与えられないから、これまで一人もこの審査結果で罷免された裁判官がいないと言う無風状態が続いている。
 この現状に風穴を開けるには、全ての裁判官にX印をつけることで現状批判をするしかないと、評論家の江川祥子さんがブログに書いている。日頃から裁判の行政寄り判決が増えて来ていると感じているから、私もこの提案に賛同しようと思っている。司法が立法府や行政府と独立する三権分立は民主主義の基本であるべきなのに、それが揺らいでいると感じるからだ。罷免すべき人にXではなく支持する裁判官に○を付けるようにでもすれば、裁判官も進んで自分の業績をアッピールするようになり投票のしようが分かりやすくなるだろうと言うようなことだ。

2012年11月30日(金)
選挙

 来月16日に二つの選挙がある。都知事選の方はすでに公示されて、候補者が出そろっている。前知事がまことに傲慢で勝手な人だったから、その跡を継ぐような人にはなってほしくない。庶民的な感覚の民主主義者をと思っていたら、元日弁連会長の宇都宮さんが立候補してくれた。見てくれが優しすぎる感じで、強いリーダーシップを求める向きには弱いかなと感じるが、芯は強い人だとのことで、期待しています。庶民の立場で民主主義を進めようとして戦ってきた人だとのことです。脱原発を第一に掲げているし、私は都立高校の教員だったから、これまでにすっかり管理主義に固めれれて窒息しかかっている首都の教育現場を復活させてくれるとも言っているのも良い。
 衆院選挙の方は議員の就活かと見えるような離合集散はみっともない図だが、とにかく、今の政権が頼りないからと言って、もっとひどかった前の党に政権を戻すようなことはあってはならないと思う。脱原発がクローズアップされているが、それとともに憲法に対する態度が大事ではないかと思う。尖閣や竹島の問題でも、今の憲法下だったから良いようなものの昔の憲法下にあって軍隊がいたら、すでに戦争になっていたのではないかと思う。少なくとも軍事力を背景とした威力外交で近隣諸国、東南アジアのなかでこの国を孤立に追い込み、軍事費の膨張で経済はさらに悪化していたでしょう。脱原発と、憲法護持の党や人を選ぶべきだと思います。

2012年11月1日(木)
竹島

 今朝の新聞の投書欄に「竹島は韓国領でよいじゃないか」と言う投稿が載っていた。私は竹島も尖閣もそれぞれ対立している両国で共有にすると言うことは出来ないかなと思っていたから、この意見に賛意を表したいと思うし、これを書いて発表した人は勇気があるなと思った。このような意見はたちまち右寄りの人たちから袋叩きにあう危険があって、実際に嫌がらせくらいあるのではないか。彼はこんな小さな島の取り合いで、昔からのお付き合いの隣国との関係を冷え込ませることよりも、その島を放棄することで両国の友好関係が深まるのなら、その方が両国にとってどれだけ得になるかしれないと言っている。
 昔から、洋の東西を問わず、領土問題くらい人の気持ち(いわゆる愛国心と称する闘争心)を掻き立ててきたものは無く、その結果どれだけの血が無駄に流されてきたことかわからない。領土問題の完全な解決は究極的には武力によるものしかなく、平和的な解決の可能性としてはどちらかが領有権を放棄するか、国連あたりの仲介機関を通して共有にするしかないと思っている。
 数日前の新聞には、それぞれの島についての両国の言い分を挙げて検証する記事が出ていたが、結局どちらの言い分も絶対確定的なものではなく、話合いによって解決しようとしても、両方がその言い分を通そうとする限り、永遠に解決はできず、お互いにとっての不幸な関係が続くことになる。
 ただし私は島に伴う領海の問題があるので、できることなら、共有にして領海の資源については共同開発の形に持っていければ最善ではないかなと思っている。今年度ノーベル文学賞の莫言も尖閣について同様な発言をしており、これはこれで現在の中国の対日感情の悪化の中にあっては、勇気のある発言だと思っている。
いずれにしてもどちらも熱くなったりしないで、頭を冷やして両国にとっての最善の解決に向けて冷静に対応してほしいものだ。

2012年10月23日(火)
出版

 やっと出版に漕ぎ着けました。10年前に出版社倒産で絶版になっていた拙著「市民のための美術入門1 デッサンのすすめ」の改訂版です。改訂版と言っても内容はほとんど変わっていません。わかりにくかった文や語句を訂正した程度です。今回の出版社は美術年鑑社で全国的な販路を持っていますからある程度は売れるのではないかと期待しています。書いた以上少しでも多くの方に読んでいただきたいと思います。
 絵画の基礎としてデッサンは古くから言われてきましたが、その理由として視覚のトレーニングとしての価値を明確にしたことでは画期的なものだと自負しております。その上で「上手くなる必要は無い」とか「個性があってかまわない」とか、固定的因習的な判断を打ち破る努力もしました。定価は2000円。新書版より一回り大きいが、わりにコンパクトなサイズで、私が作った壁紙やイラストで装丁してなかなかおしゃれな造本になりました。
 今月末には書店にも出ると思いますが、私の手元にはすでに来ておりますのでご注文いただければ送料込2000円でお送りいたします。
 なお引き続き「同2 抽象絵画のすすめ」と「同3 油絵のすすめ」も年度内を目標に発刊の予定です。おかげでなにやかやと忙しくなっており、来春2月の行動Tokyo展と3月の汎美展の作品が描けるかどうか心配になってきています。
 ところで話は別ですが、相変わらずこの国の先行きはますます暗いです。隣国の中国や韓国との間が冷え込んでいることが気になりますし、3.11の復興も進まず、脱原発も徐々にのど元過ぎればの方向に向かってきているようですし。そこへ持ってきて政局はますます混迷で、現政権が見放されたのは仕方がないとして、それに代わるのがこの前まで長年政局を担当してきた保守党で、しかもその末期に短期間で政権を投げ出して醜態をさらした張本人が返り咲くと言うことではまったく期待が持てない、どころか悪い方向へと突っ走る可能性が高い。保守党は原発維持で固まっているようだし、対中国などの外交ではタカ派を標榜しているのだから、近隣諸国との友好関係がますます損なわれていくでしょうし、これをチャンスとしての憲法9条の改廃の可能性すらあります。だいたい保守党は財界とアメリカに依存している党で、両者の言いなりになるでしょうから、一般庶民にはつらいことが増えるでしょう。なにしろ、 どの世論調査を見ても、脱原発、消費税増税反対、平和憲法維持、オスプレイ反対、被災地の早急復興、中国とは話し合いによる平和的解決・・・が多数なのに、保守党はそのいずれについてもが民意に反した政策を掲げています。
 残念ながらこれらの民意をそのまま掲げているのが、小さな政党でしかない。その小さな政党の議席数を少しでも増やすことが、いくらかなりとも悪化の歯止めになるのではないかと思うのだが。

2012年9月24日(月)
今朝は

 気持ちよく晴れて涼しい。昨日は一日雨で気温も20度どまり。それで今日は30度前後まで上がって明後日はまた20度前後と目まぐるしく変わるらしい。それでもとにかく今日の今のところはやっと秋が来たかなと思われる爽やかな気分。中国や韓国との諍いもこん具合にさっぱりと晴れてくれると良いのだが。
 日中国交回復40周年に当たるというのにその記念の行事が中止になったとのこと。これまでのあちら側の動きを見ていて気になるのは、あの国における日本の価値の下落と言うこと。技術及び経済の大国であり先進国に仲間入りしようとする中国にとっての技術の面でも経済の面でももはや模範になり指導を仰ぐべき先進国としての日本ではなくなって、どうでも良い国の一つになりつつあるのではないかと言うこと。そうなればこの国は単なるアメリカの出先機関に過ぎなくなってしまうのではないか。日本は両大国の間に挟まれて右往左往する一小国に過ぎなくなってしまうのではないか。少子化や高齢化もあって、肝心の技術力も経済力も徐々に衰微の一途をたどるに違いないこの国の先行きはまことに頼りない。
 だからと言って自民党の次期総裁選の候補者が口をそろえて叫ぶような、タカ派的な方向で軍備の増強や憲法の改訂などを行っても却って国際緊張を増すだけの話で、何の得にもならないだろう。
 今のような状態が起こるたびに、憲法9条があってよかったと思う。戦前のような憲法であり、文民統制下に無い強力な軍部があった時代なら、とっくに戦争状態に入っていたであろうし、その結果は前の大戦以上に悲惨な結果になっていただろう。
 戦争だテロだと言っても昔と今は違う。仮に国中あちこちに点在する原発の数か所が破壊されるだけでも、この狭い国土の大半が居住不可能の死に地になってしまい、その難民の対応だけで行政は空白状態になってしまうだろう。電気や水道の完璧なインフラに慣れ切ってしまっている国民にとっては、その破壊だけでも非常な混乱を招くに違いない。また、戦争となればまず、少子化の元では大変貴重なまじめな若い世代が根こそぎ喪われることだろう。
 この国は絶対に戦争をしてはいけないし、軍部の横暴を許すような体制にしてはいけないのだと思う。
 その原発については、政府が一旦30年代にゼロにすると言う方針を決定しながら、閣議決定を避け、うやむやに骨抜き状態にしようとしているありさまだ。それが財界とアメリカの意向の反映だそうで、一体これらの人たちは、始末に終えない使用済み核燃料をはじめとする核廃棄物をどうするつもりでいるのか。満身創痍のもんじゅを動かして核リサイクルを可能にすることで解決できるという、根拠のない夢想にすがりついているのだろうか。
 たしかに例えば、世界をリードしているリニアモーター新幹線の技術を実用化するためには、東京大阪間で5個の原発の新設が必要と聞く。ということは原発がこれ以上増えなければここまで進んできたこのような高度な技術がお蔵入りになり、世界、取りわけ中国辺りに対する技術輸出などの優位性も失われるだろうと言うことで、日本の立場はますます悪くなる。このことに限らずあらゆる面での技術開発には電気は欠かせないのであって、財界にとっては節電して必要量を抑制すれば済むと言う問題ではないのだろう。現状維持どころか、さらに増やさなければ世界に冠たる技術立国が維持できなくなり、日本はただの群小国に落ち込むと言うことなのだろう。
 しかし核廃棄物の処理が可能な国(半減期何万年と言うものについて、安全保管の可能な国なんてあるとは思えないのだが)ならいざ知らず、地震国でありテロに対しても無防備な国で、原発の存在は常に身内に向かう刃を無数に突きつけられた常態で生活するようなものであるのだから、やはりできるだけ早く原発はすべて廃棄するべきだと思う。第二次大戦では「国破れて山河あり」だったが、原発事故が起きればその貴重な「山河」までもが失われてしまうのだ。フクシマを経験しながらまだそのことが分からない人々がいることが不思議に思える。

2012年8月30日(木)
 絶版になって久しい「市民のための美術入門1デッサンのすすめ」の新訂版のゲラの校正中です。9月中には発行できそうです。続く「同2抽象絵画のすすめ」と「油絵のすすめ」も今年度中には出版できるのではないかと思います。行動展の搬入や審査も近づきましたし、10月には汎美の秋季展も控えていて、気忙しい毎日です。
 オリンピックが終わって、尖閣や竹島関連の騒動が続いて、ナショナリズムの気分が妙に高まっているようで、成り行きが心配です。。これをチャンスにと、この国を「戦争のできる国」にしたいと思っている人たちが、ことあれかしとパフォーマンスや画策をいろいろとして勢力を広げているようですが、最も近しい国であるべきお隣さんの二国にむやみとこぶしを振り上げて見せることに、どれだけの得があるのかと思います。
 憲法9条がある以上、武力を背景としたような外交はあるべきでなく、どこまでも冷静に対応すべきでしょうに、3.11と言う国難の修復がまだまだで、原発問題などで国論が二分していたり、経済も政治も先の見えない不安定な状況にあるようなときに、このような外患が起きているのは困ったことです。
 もとをただせば石原都知事が妙なことを言い立て始めたのが、きっかけになったのではないですか。このような事を荒立てることで関心を引こうと言う彼独特のパフォーマンスが、近隣の国との関係にひびを入れてしまった。そのことの今後の成り行きに一体何を期待しているのでしょうか。
 石原よりも若いだけに大阪の橋本の維新の会とか河村とか、そのしりうまにのって復活しようと言う政治家たちの動き中でも1年で政権を投げだした元首相までもが妙に勢いづいていることに、そしてそれらに引きずられる人たちが結構多いようなので、不安を感じます。
 既成の二大政党に愛想を尽かした有権者が、憂さ晴らしにこれらの憲法改悪派を支持していくような雰囲気は困ったことです。戦前のような、うっかりものの言えないような国にはなってほしくないものです。
 ナショナリズムの発露はオリンピックなどの、スポーツ面だけにしておいてほしいものです。

2012年8月24日(金)
続近況

 久しぶりに安達太良山に登って来た。21日にくろがね小屋一泊で。若いころに何度も登った記憶のある道だからと気安く向かったのだが、塩沢からの湯川渓谷道は結構きつかった。登りがきついと言うのではなくて、道が歩きにくかったのだ。鎖場が何か所かあり岩の斜面を鎖にすがってトラバースしたり5m位の壁を鎖を頼りによじ登ったり、何回か沢を渡らねばならないのだが、不安定な丸木橋で、脇を徒渉する方がましなところもあった。かつては家内を連れて登ったこともあり、麓の岳温泉で開かれたクラス会のメンバーの中から希望者を募って、この道を下ったこともあったのだが、よくやったものだと思う。それともその後に道が荒れたのか。山頂にはロープウエーを使えば容易に登れるようになってしまっているから、このような登山道の利用者は減っているのだろう。
 くろがね小屋は温泉のある結構大きな山小屋だが、この夜泊まったのは私だけ。小屋の主と雑談しながら夕食を食べ、星空を見て早く寝た。
 翌日も快晴。直接火口壁の馬の背に登りたかったが、何年か前に沼の平火口で有毒ガスによる死者が出てからその方向は立ち入り禁止で、仕方なくぐるっと回って火口壁上に出て矢筈森の岩峰の根方でスケッチを一枚。
 火口の底辺りは異様に白く、その上にそそり立つ壁は赤茶けた部分とその上に突き出した黒ずんだ岸壁
にところどころに植生の緑。赤茶けた部分は朝日に当たって鮮やかなオレンジ色に見えるところもあり、白い部分にはうっすら灰色の斑もありで五色に複雑に彩られた大きなくぼみが眼前一杯に広がっていた。何度見ても異様に思える風景であった。遠景には尖った磐梯山や西吾妻の峰々その間に裏磐梯の湖沼も見えていた。
 火口壁から少し南にはなれてある安達太良山山頂(標高1700m)にも寄ったが、この岩の塊のてっぺんは登りにくくて途中で遠慮した。麓からは乳首に見える目立つ頂だが、安達太良山塊の最高峰ではない。
 勢至平のなだらかで単調な道を下ったのだが、登山口であるロープウエーの下駅までのバスがなくなっていることを知らなかったのは迂闊であった。丁度正午に着いたのだがレストランも休業で、仕方なくかんかん照りの広い舗装道路を7キロも歩いて岳温泉へ。そこの蕎麦屋で昼飯にありつき、公共浴場で湯につかってからバスに乗って帰ってきた。
 今年の夏山は尾瀬と安達太良で、どちらも2000mを超えることは無く険しい所も少い道であった。そのくらいがほどほどで、もうそろそろ山歩きも限界かなとも考えるのだが、終わってみればまた行きたくなる。なるべく登りやすそうなところを探して来年も行きたいと思う。ほどほどのストレスである山歩きをやめると、途端に老け込んでしまうのではないかと言う不安もある。

2012年8月15日(水)
近況2

 今日は終(敗)戦記念日だというのに、竹島や尖閣や北方4島それぞれに荒れ模様だ。国境線がそれらの島のどちら側に引かれるかは漁業や海底資源などの海域問題に係るから、おいそれとは言えないのかもしれないが、このような問題が起きるたびに、なぜ国があり国境が存在しなければならないのかと思う。
 国境線と言う人間が勝手に地上にに引く線のわずかなずれ次第で、これまでいかに多くの争いが起きどのくらいの人が死んだことか。今争奪の対象になっている島々などは、いっそそれに付随する海域も含めて両国の共同管理区域にしてしまうとかの方法は取れないものか。
 とにかくわずかな領土の問題で感情的になり、武力を背景にした強圧外交から戦争の愚に陥るようなことの無いように、お互い冷静に対応してもらいたいものだ。

 話は別だが、7月の末には尾瀬に行き、山小屋で76歳の誕生日を一人で祝ってきた。尾瀬は何度来ても良いところだと思った。三平峠から入って長蔵小屋に泊まり翌日は原に出て、竜宮からアヤメ平に登った。なかなかきついのぼりだったがその甲斐はあった。
 8月に入って8日から二泊で、家内と能登半島めぐりのバスツアーに参加してきた。たまたま電車の事故による遅延で、所定の列車に乗り遅れると言うハプニングがあったが、運よく後続の列車の連絡が上手く行ってツアーに追いつくことが出来、その後は三日間の好天に恵まれて、車窓に見る紺碧の海と一段と濃厚な緑を伴奏にした半島めぐりを楽しんできた。板張りで艶のある真黒な珠洲(すず)瓦をのせた素朴な形の民家も独特の景観を作っていた。
 遊覧船から見た能登金剛や輪島の朝市や、灯台まで足弱の家内ともども登った緑郷崎や、パワースポットとやらの珠洲岬や、異様に生々しい姿に驚かされた軍艦島(見附島)等それぞれに面白かったが、特に印象に残ったのは白米の千枚田と、最後に寄った五箇山合掌造り集落。前者は緩やかな斜面を彩る緑の模様が、背景の日本海の青に映えて美しかったこととその上を吹き渡る涼風で、後者はその谷に降りるエレベーターからトンネルをくぐって出て間もなく眼前に広がった集落の光景に、懐かしさに似た強い感情に突き動かされたこと。こんな場所は
一度も見たはずもないのに、いわゆるデジャヴュと言う奴か?
 いずれも非日常の空気に触れることが出来た貴重な体験だった。
 ところで私は今年も家では冷房を使わずにいる。家内は私の出掛けたときや、10時には寝てしまう私就寝後などに使っているようだが。節電省エネとの思いもあるが、冷房に浸るたびに風邪っけになる傾向があるのはたしかで、その都度葛根湯で抑えている。どうも冷房の風には肌に感じる違和感があり、苦手なのだ。
 幸い我が家は都内には珍しいほどの緑の多い地域にあり、狭い庭も木々がびっしり植わっているから、都内の記録より常に2〜3度は気温が低い。その上このところ風が吹く日が多く、戸や窓を開けておけば結構涼しくし過ごせるのだ。味噌汁で塩分を補給し、しばしば給水し、暑い盛りは昼寝で過ごして、なんとかこの夏一杯を乗り切りたいと思っている。これまでのところ都内が極端な猛暑日に見まわれてないのも幸いしているわけで、この先もこの調子を守れるかどうかはわからないが。

2012年8月6日(月)
近況

 御多聞に漏れず、私もオリンピックの競技に夢中である。ただし就寝時刻の10時前後は守っているからほとんどは翌日のニュースか再放送で見ることになる。時差のせいとはいえ結果がわかってから見る試合では興味がだいぶそがれるのだが仕方がない。
 日本は今回は銅メダルが多いようだ。アメリカや中国辺りが金をどんどんとって行くのを見るとちょっと癪に障るが、この国の現状からしてみればその辺りで丁度良いのではないかなどと思ってみている。才能の上にがむしゃらに金もたっぷりかけて優遇したりして金メダル獲得争いに血眼になるより、のびのびと才能を伸ばしてやって,結果にもあまりこだわらないとすれば銅で上々ではないか。それにしても、柔道の結果がさえなかったな。相撲と並んで国技と言われた二種目が他国に御株を奪われてしまっっているのはちょっと情けない。基本的には体格の違いと言う言うことかと思うが、そこそこ安定した日常生活で、ハングリー精神が足りないと言うことかもしれない。
 選手たちがインタビューに答えて、「楽しんだ」とかいうことが多いのは結構だ。下手に国威発揚なんてことに血道を挙げるようになったら怖い。ただインタビューに対する答えが殆どおなしようになってきているのが気になる。模範回答があって皆それに従っているのではないか。一様に「皆さんの応援のおかげ」というのだが、もっと違ったのがあってよいと思う。

 ところでオリンピックに紛れて忘れられかねないが、今日は広島の日、9日は長崎の日、そして15日の敗戦記念日。この時期になるとやはり戦中戦後の記憶がよみがえってくる。私は国民学校の3年生で、仙台空襲の中を逃げ惑った経験も、学童集団疎開の経験もある。食べるものもなく、毎朝芋の混ざったおかゆだけで、すきっ腹を抱えての生活だった。コメがなくて炒った豆だけでごまかした日もあった。ただしそのころの記憶のなかで、なにか不思議に空気だけはきれいだったという感じがある。空の青や木々の緑が今より鮮やかだったように思う。
 今は高度経済成長を過ぎて、豊かな生活が出来るようになっているが、高い山にでも登らねばホントウの空気には出会えないような気がする。もっとも先日行った尾瀬でも、放射能汚染の不安がしばしば聞こえてくるようだったが。
 いずれにしても戦争だけはあってはいけない。天災も怖いが、地域が限定されている。少なくとも他の地域からの救援の可能性がある。戦争は人の命も含めて国全体から根こそぎ奪い去る。そのあとには貧困と悲惨だけが残る。
 この国は戦争に負けていったんすべてを失った。しかし蘇って今は世界平均から見ればはるかに豊かな生活を国民の多くが享受している。「国破れて山河あり」。山河と民が残れば復興が出来る。戦争に負けて変わったのは政体だけだった。そして民主平和の憲法のもとで比較的安定した生活を享受している。戦争に負けてよかったとう一面がある。勝たねばなら無いと言うものではない。
 しかし戦争は要するに国家間や民族間の喧嘩である。誰だって頭に来て人に当たりたくなる時があるだろう。それと同じで戦争の開始は意外と簡単である。国あるいは民族がちょっとしたことで頭にきて喧嘩を始めてしまう。その際叫ばれて人々を駆り立てるのが愛国心とう言葉だ。この言葉が表面に出てきて独り歩きするようになったら注意しなければならない。誰でも自分の郷土や同胞に対する愛着や連帯感は持っているだろう。愛国心はその範囲で語られているうちは良い。しかし国を愛せねばならないとか国の象徴としての天皇や国旗や国歌を愛せよと言うようなことになってきたら要注意だ。今は既にその兆候が見えて来ている。
 尖閣、竹島、北方4島、それに拉致問題。もしこの国が軍隊を持っていて戦争放棄の憲法がなかったら、これまでにも既に何回か戦争の危機があったに違いない。既に自衛隊と言う結構強力な軍隊を有しているので、それを背景にした強い日本で事を解決したがっている人たちが増えて来ているように思われるが、どんな問題でも、どこまでも粘り強い外交努力で平和的に解決していくべきである。。

2012年7月10日(火)
ひとりごと

 まずいよそれは。いくら手を加えたと言っても一見して似てると思われるようじゃあ。どの程度ならよいかって?その判定は裁判所でも問題になるだろうが、しかしアートの世界では手の加えた度合いがどの程度なら許せるかと言う問題ではないはずでしょう。
 誰だって影響を受けるとうことはあるさ。勉強としての模写は別として、ゴッホのタッチをまねたりピカソのキュービズムをまねたりは、私も若いころにやってきた。ただし実際にある作品の形なり構図なり配色なりをそのまま写しとるようなことはしなかった。全く異なったモチーフで、彼らの作品から得た感動を基に、内面化された対象の解釈の仕方を真似しようとしたのだったと思う。
 デュシャンがモナリザの顔にひげを加えて作品として発表したのは剽窃ではなかったのかと言う話もあるが、この場合は写したと言うよりそのまま使って見事に作品に本質的な転換を行って全く別の価値観を導入(創造)して独創的な表現になっているいるから良いのだ。これなら納得出来る。
 とにかく、影響を受けるとはいったん自分の内面で咀嚼して、そこから得たエキス(栄養)を自分の作品に生かすことでしょう。他人の創作した形をそのまま利用すればそれは剽窃だ。
 他人の作品を真似すれば著作権の侵害として犯罪行為とみなされもする。訴えられれば厄介なことになるから用心した方が良い。今生きている方の作品はもちろん、死後50年までは著作権が存在し、その遺族などの著作権者に著作料を支払わねばならないことになる。しかしこれは作品が利益を生む際の創作者の保護という問題への法的な対処であって、本来のアートの精神とは関係ないことだ。
 創造であり表現であるアートの世界においては、厳然としてオリジナリティー(独創性)の価値観があって、これが根底から崩れるから剽窃は忌避されるべきなのだ。
模倣が認められる作品は2段階も3段階も低い価値しかないものとして扱われる。数年前にも日本の相当売れていた画家が、イタリアの画家の作品の構図や形体をほとんどそのまま使っていたことがばれて、受賞経歴などを剥奪されたと言う事件があった。法的な制裁は無かったが画家としての地位は地に落ちた。
 残念ながら似たような事象は結構多い。これは創造という行為が大変な困難を伴うということから来ている。人間の内面世界なんてものは案外せせこましくて、そう無尽蔵に表現すべき内容を持ってはいないのだから仕方がない。逃げ道として多いのは評判のよかった自分の作品に少々手を加えて再生産する形だ。これなら剽窃のそしりは免れ得るが、創造と言うアートの使命からすれば価値は低いとみなされるべきだ。いつもいつも同じような構図で同じような色調で同じようなパターンやキャラを使って描いている絵描きさんの何と多いことか。
 実際の救いは自然との接点の保持にあると私は思っている。自然は美の宝庫。そこからなら無尽蔵に創造のために栄養をくみ取ることが出来る。画家としては深い自然の観察を続けること。描いて見るのが一番良いのでは?つまり自然を対象とするデッサンを機会あるごとに行うこと。自然を模倣する分には剽窃にもならないし、著作権とも関係ない。ただしそのままのコピーはやはり価値が低いのではないか。内面で咀嚼して自分独自の形に表現すべきではないか。

2012年6月7日(木)
再稼働・・・

 大飯原発の再稼働が行われるらしい。既に政府がその気になってしまっているのだから、今さら騒いでもそうなるのだろう。関電が振りかざす15%節電への企業側からの不安が恰好な理由になっている。一般市民の反応は再稼働反対の方が多いのだがそれは無視して、企業側の意見つまり日本経済の沈下を恐れての配慮と言うわけだ。首相は私の責任でと大見得を切るつもりらしいが、福島の事故に対して誰が責任を取ったというのだ。人の住めない国土を作り出しながら、それに対してはだれも責任の取りようがないでいるではないか。仮に責任をとって誰かが腹を切ったところで、失われた国土は戻らない。
 大飯を突破口に他の原発も順次再稼働に持っていき、あわよくば原発維持に進めようとしていると思われてくるが、一体脱原発依存の基本方針とやらはどこに行ってしまったのか。結局のど元過ぎれば熱さを忘れると言うことになりそうだ。その裏で例のムラに群がる利権屋どもがほくそえんでいることだろう。そしていつかまた事故が起き、国が亡ぶ。
 しかし、また一方に再稼働どころでない大きな問題があるのではないか。原発にはすでに大量の核廃棄物をはじめとする放射性物質が存在しており、稼働していなくても、国中の54基ものそれぞれが絶えざる綿密なメンテナンスを受け続けなければ、そしてまたあのような自然災害に見舞われたりすれば、第2第3の福島第一になりかねないといいう状況にあると言うことの恐ろしさ。
 ただ稼働を止めれば済む問題ではなくて、すべての原発を廃炉にしそこに蓄えられていた核廃棄物や核燃料ばかりか、原子炉本体をはじめとする大量の放射性廃棄物の始末を完全に後顧の憂いの無いように始末し終えない限り、メンテナンスは続けねばならず、巨額の費用もかかるだろうし人員も必要だと言うこと。この問題をプルトニュームの放射能半減期2万4千年を勘定に入れて考えると、ある意味再稼働の是非などは小さな問題に見えて来さえする。そんななかで40年が経過して老朽化した美浜原発を、さらに10年維持しようとするたくらみが始まっているようだし、既にモンジュの故障続きで破たんしているはずの、核燃料リサイクルを温存する動きも強まっているそうだ。

2012年5月2日(水)
映画「父をめぐる旅」

 昨日完成お披露目の試写会があり、家内ともども川崎のアートセンターまで見に行った。天才画家中村正義の娘の倫子さんが在りし日の父の実像を探ってゆかりの人や土地を巡るドキュメンタリーフィルムである。
 早くから日展に属して、天才的な技量と斬新な作風で35歳の異例の若さで審査員になった正義が、前衛的な画家仲間と接するうちに絵画表現の限りない可能性に目覚め、日展の封建的因習的な体質に反発して問題作を連発し、ついに師中村岳陵の禁忌に触れて脱会し、反逆者との汚名から画壇から受ける執拗な抑圧に耐えながら、何物にもとらわれない自由な制作を展開し、ピカソにも劣らない強烈な作品を残していく。しかし体は病魔にむしばまれていき、一方で日展の権威主義に対する怨念に取りつかれたかのごとく、民主的であるべき東京展を主宰してその泥沼の中に力尽きて倒れるまでが描かれている。最後は肺癌。享年52歳。
 何とかして既成画壇の権威主義に一矢を報いたかったのだろうが、今や日展を中心とする保守的な画壇は国家権力にも擁護されてますます安泰であり、彼の苦闘はなんだったのかなとう気がするが、昨年から名古屋や練馬区での大規模な回顧展の開催があり、彼の才能の復権の可能性がいくらかなりと見えて来ているのは喜ぶべきことだ。
封建的な日本画壇に抗して戦った人には岡本太郎がいるが、彼が性格的にも陽性でマスコミなどでも発言の機会が多かったのに対して、病弱でもあり画壇の厳しい締め付けに遭った正義は、今やごく一部の知る人ぞ知るの存在になってしまっている。世界のどこに持って行っても恥ずかしくない独自の表現を成し遂げた人なのに。
 彼の遺志を引き継げる強烈な個性が現れる日がいつか来るのか、の思いを残して映画は終わった。せっかく作られたこの映画はこの後どのように生かされていくのだろうか。近いうちに私の下にもDVDとなって送られてくるはずである。見たい方にはお貸しします。

2012年4月19日(木)

 我が家の前の自転車道路(緑道狭山境線)は目下山桜の花盛り。今年の春はなかなか気温が上がらなくて花も遅れたが、咲き始めると梅や木瓜に始まり桃もツバキやレンギョウやスミレや犬ふぐりもそしてソメイヨシノ、一斉に咲いては次々と散って行った。何とも華やかでゴージャスな季節があっという間に行き過ぎて、はや新緑、若葉の芽が広がってきている。毎朝それらの次々と咲く花々を見ては自然の織り成す不思議の感に打たれ、命のはかなさを感じ、もったいないような気持ちを感じて過ごした。
 一方でこの間には、お隣の問題児国家のミサイル騒ぎがあり、また国内では原発再稼働を急ぐ動きがある。
 国際社会に向けて、ただひたすら駄々をこねているとしか見えない精神的な未熟さを、あの国の中には恥じる気持ちと言うものがないのだろうか。理想社会を希求した社会主義がプロレタリア独裁かなんか知らないが、個人崇拝に支えられる専制政治に陥ってしまうと言うのはまことに残念なことだが、結局独裁者の権威を高めることにばかり熱中して、肝心の国民の福利には目が向かなくなっているばかりか、権威的な抑圧をほしいままにしているのを見るのはまことに心苦しい。
 一方ここにきて政権党の一部が妙に再稼働に向けて積極的に動き出したこともあって、原発推進派がまたまた勢力を盛り返してきている風潮を剣呑と感じる。その底には何が何でも成長発展膨張を続けなければすぐに行き詰まる、資本主義経済の困った体質が見え見えである。例えばリニア新幹線。あれを走らせるには大量の電力がいるそうで、東京大阪間で原発5個分とかいう話も聞く。原発がなくなれば、あのような上手い経済発展の見込める企画も立ち消えにせざるを得なくなる。対外的にも技術立国の看板が成り立たなくなる。そんなこんなで遮二無二原発再開を進めようとする、財界や業界の圧力が高まっているのだろう。
 
確かに電気浸りの生活に慣れ切ってしまった我々にとって、計画停電などは大きな不安材料ではあるのだが、福島の事故を経験しながら元に戻るようでは情けない。事故さえ起こさなければよいだろうと言う甘い見方は結局、以前の安全神話に立ち戻ることであって、絶対安全なんてことはありえないことを銘記すべきだ。それにもまして、使い済み燃料をはじめとする核廃棄物の完全な処分方法が考えられない以上、核の利用はやめるしか方向は無いと思う。やめても核廃棄物が残るのが頭痛の種だが、これ以上増やすよりはマシに違いない。
 そういえば東京都が尖閣を買い取るとか言い出して、それに喝采を送るような一部の勢力があって、またまたあの知事のパフォーマンスかとうんざりするのは日中関係にひびが入るのは困ると思うからだ。どうみても、これまで黙っていたのに、海底資源が取りざたされるようになってから急に領有権を主張し出したあちら側の言い分には胡散臭いものを感ぜざるを得ず、日清戦争で奪い取られたものという話には簡単には乗れないのだが、北方4島のことも含めてこのような領土問題には、歴史的な調査に基づいた冷静な採決がどこか国際的な機関で行われないものかと思う。いずれにしてもこんなことでつまらない喧嘩を起こしては、それこそつまらない。
 リニュウ―アルなった東京都美術館を覗いてきた。エレベーターやエスカレーターが随所に設置されて、展示室のあの薄汚かった展示壁面は穴あきではあるが穴の間隔がだいぶ広がってきれいになったし、照明が明るく均質になっていた。入場券売り場は各会場入り口に移り、会場入り口やエントランスロビーの雰囲気もだいぶ変わった。展示室は皆入り口に戻らねば出られない形になっていた。レストランが二つ出来たが一方はハイレベルであり、もう一方のも今までより高い。これでは懇親会会場は館外に求めねばならないかなと思う。
 都美術館には例の問題での文書開示請求を、また出してある。今度は審査に携わった方々の一覧表だ。審査委員の任期が切れたのを機会に出したのだが、どうせまたなんとかかんとか理由を付て非開示の通知をよこすだろう。特に急ぐことでもないので、この問題には気長に付き合って行こうと思っている。どう考えても不自然な審査結果であったのだし、少なくとも相当にずさんな審査の結果であったか、作為的なあらさがしが行われたとしか思えないのだ。
 上野では国立博物館のボストン美術館展を見、北浦和に回って草間弥生展を見てきた。どちらもそれぞれに面白かった。ずいぶん貴重な日本美術が海外に流失していたのだなと思う反面、そのおかげで良い状態で保存されてきたのかとの思いに、日本美術は世界的に見ても優れた感性の存在の表現であるなーとの再確認。一方草間は82歳にして次々と一筆も逡巡することなく描きまくっていることに、これも天才かと思うのだが、一点一点面白いとは思っても、じっくり鑑賞して何かをそこから感じ取りたいと言うようなものではないなと思った。

2012年3月25日(日)
汎美展が終わって

 汎美展が終わっていささか気が抜けている。自分の出品作3点を会場で見て3点それぞれでまとまりは無いが、これらも確かに私の作品だなと感じ、混乱はあるがこれまでとは違った迫力も加わってきていて、思ったよりは良かったのではないかと思っている。いずれも制作がスラスラいかず、迷い迷いの紆余曲折の多い作品だったから不安だったのだ。
 汎美展の会場は相変わらず多士済々さで、多くの作品に前回以上の努力や工夫の跡が感じられて今後が楽しめるなと感じたが、もし境さんが生きていたら目を剥いて怒ったのではないかと思うような、現代美術を標榜する会にはふさわしくないと思われる作品もいくつか目立った。ただしこのような振幅の大きさも、この会の優れた特徴から来ている必然的な結果と思えば、それはそれでよいのだが。ミクストメディアの大作の隣に水彩の小品が並んでいたりするのも、この会ならではの他の公募展にはありえない光景である。
 とにかく7000人を超す多数の入場者も得て、盛会裏に無事終了してほっとしているわけだが、私自身は美術館側からの思いがけないパッシングを受けて、未だに腹が収まらない後味の悪い結果になってしまった。
 昨年、中村正義の映画を作ると言う話を聞いて私自身も汎美術協会も後援会に入って、そのパンフレットを会場に置いて配布に協力したのだが、別に館側から何の規制も受けなかった。ところが今年練馬美術館の中村正義展のちらしを、わざわざ取り寄せて会場に置いておいたところが、美術館の係員が来て「この展覧会に直接関係のないものだから撤去しろ」と言われたのだ。私や事務局長が会場に居ない日で、翌日知って担当者に問い合わせたのだが、若い女性の声で「昨年は見落としただけのことで、館の方針だから今年は従ってください」とのこと。「他の公立美術館の公式の展覧会のチラシでもだめなのか」と聞いたら「館内にはそのようなチラシなどを置く場所が別にあるから、そこに置きたいのなら係員に申し付けてください」と言われたから、早速係員に来てもらって手渡して「早速配置してください」と頼んだのだが、その日の夕方その場所に行ってみても置いてないので、再び問い合わせると「館側で検討する必要があるものだから、即日対応はできない」と言われた。館内電話でのやりとりだからかもしれないが、まったく取りつくシマもない感じでの応対であった。私はその後数日都合で会場には出られず、最終日に至って置かれるはずの場所を見てみたがやはり配置はされていなかった。最終日は運営委員会から引き続きの搬出業務で忙しく、そのまま帰って来たので、結局そのチラシが実際に館内に配置されたのかどうかの確認のしようは今となっては無い。あの館員の対応の仕方からみて、誠意を期待することはできそうにない。昨年どころかその前からほぼ毎年何らかのチラシや案内状は会場の中に置いていても問題にされなかったのだから、ここにきて突然の処置にはもっと柔軟で親切な対応のしようがあってよかったのではないか。もともと館側にも落ち度があったのだから。ということで割り切れないものが残ってしまって、未だに腹の中でくすぶっているのである。分かっていればわざわざ取り寄せたりしなかった。いかにも「官僚的な不親切で誠意のない対応」ではないか。わざわざ映画作成のスタッフの一人が忙しい時間を割いて届けに来てくれたチラシが、無駄になってしまったかと思うとまことに申し訳ないことである。

 ところで別の話、大阪の維新の会とやらが勢いをつけていて政経塾が大繁盛とのこと。以前にもこの欄に、憲法の思想信条の自由を侵害するような、卒業式や入学式の日の丸君が代の教員への強制と、教育委員会無視で直接行政が教育現場に立ち入って行くことへの批判を書いたのだが、このままで行くと困ったことになるのではないかと、不安の念を持って見ている。
 今の時代がナチスヒトラー台頭の時期に似ていることから、やはり出るものが出てきたのではないかと言う不安である。大震災による世情の混乱は第一次大戦後の混乱を想起させるし、復興の遅れや放射能汚染への対応、出口のない不況の永続や雇用悪化などからの焦燥感横溢に対して、政党政治の悪弊がもろに出ている政治の後手後手に回る無力感なども、ファシズム台頭期の状況に似ていて、それらが手っ取り早く物事を解決してくれそうな強いリーダーへの渇望になって表れて来ているのではないか。名古屋の市長が南京事件をなかったと発言して日中関係を硬化させてしまったり、都知事が脱原発なんてセンチメンタリズムだなどと言い、これら勝手な発言をする地方の首長がカッコ良いともてはやされている始末。
 前にも書いたが、民主主義は最も非能率的な制度であり、しかし結局これ以外に万人の幸福を実現できる制度は無いのであるということを忘れてはいけない。現憲法がなし崩しにされて来てそのうち改悪されてしまうのではないか。この国にも治安維持法下の悪夢の時代があったのだがそれも、結局は立憲議会政治の中の流れで生まれてきたものだった。大衆が無批判に強いリーダーを求めて追随しようとすればファシズムはいつでも現れるのであり、気がついたときには言いたいことも言えない暗い世の中になっているのだ。
 ファシズムの元にあるのは誰にでもある単純な支配欲であり、夫婦や家族の間にも表れてDVなどに発展する種類の心情である。一見口当たりの良い政策なを並べて見せて人気を取って、それで選挙で勝てばそれ見たことかと「民主主義は多数原理であるから投票で勝った以上は何をしても良い」と言わんばかりに自己の支配欲を満足させようとしてくるのだ。無名の民草はこの支配欲にそのうち蹂躙されてしまうというのに表向きのかっこよさにつられて迎合する。
 指導者はなかなか頭が良くて機転が利き口も達者な人のようだが、願わくば彼や維新の会とやらの面々が早い段階でこの危険性に気付いて、より大人の判断力を身に着けられることを願いたいところだが、目先のことに追われ続ける現状では期待できることではなさそうだ。 

2012年2月17日(金)
ポロック展など

 11日に汎美の仲間数人と落ち合って近代美術館のポロック展を見た。初期の具象的な作品群に表れた強烈な個性にまず驚かされたが、結局その個性が独特の空間感覚となって、いわゆるポウリング(振り撒き)絵画になってからも、画面全体に行きわたっているのを感じた。彼のこれらの画面について、オールオーバー(中心のない、全体に広がった)と言う言葉が用いられているが、私には理解できない。一見混沌としているように見えるが、私にはどの作品においても、彼の独自の空間感覚が行きわたって、実に緊密な空間が構成されていると見えたからだ。彼の振り撒くペイントは実に着実に彼に意志の延長上にあって、一つも無駄がないように思えた。ペイントの滴りは、3次元を超えるような奥行きの感覚も示して複雑に絡み合いながら一定の強い求心性もち、画面を一つの有機体にまとめ上げている。見事だと思った。同時にこのような感覚を持って生きると言うことが、どういうことだったろうかと思った。天才には生きづらい世の中ではないだろうか。彼がアル中の果てに、自殺に近い事故死で若くして世を去ったのも、仕方のないことであったのかもしれない。まあ、われわれ凡才はせいぜい長生きして、少しでも天才たちに近づき得たらと願うばかりだ。
 この日近代美術館に行く前に代々木公園に立ち寄り、さようなら原発の集会を覗いてみた。大江や澤地そして福島からの二人の発言までで会場を離れたが、12000人が集まったとかで相変わらず反原発の熱気が感じられた。しかしどうだろうか、原発についての国民投票実施への署名集めが終わって、大阪でも東京でも必要数を超えたと言う話だが、都議会の主な会派は実施に慎重だと言う話で、知事などは「原発反対なんてセンチメンタリズムだ」などと言っているし、国民投票の実施は危ぶまれる。そして実施されたとしても反原発派が勝てるのかどうかも疑問だ。
 マスコミを通じても福島の事故はめったに起きない悪条件化において起きたのであって、そのために全ての原発を止めるのはおかしいとか、原発を止めれば電力が逼迫し産業を圧迫し景気を低迷させ雇用をさらに悪化させるとか、エネルギー供給に代替案を出せるのかとかいったキャンペーンが徐々に浸透してきている。一方で反原発の感情は一部においてかもしれないが、全くまだ感情的な域を出ておらず、核廃棄物、使用済み核燃料などの始末に負えなさなどについての認識などは低いのではないか。「のど元過ぎれば熱さを忘れる」のを待っている勢力が徐々に力を盛り返してきていると感じる。実際は既に六ケ所村の再処理工場には数千トンの使用済み燃料が溜まっていて、さらにここに集められないものがそれぞれの原発に多量に保管されており、その処理方法もない。さらに福島県で始まっている、大規模除染作業で出る除染ごみの持っていき場もないのが現状である。なんのかのと言っても、この国は無数の活断層や活発なプレート境界に近い地震国である。首都直下型は10年以内に何十%とか、東海地震の可能性が高いとか言われ続けているのに、経済優先だけを考えて原発稼働を続ける論をする人の神経は理解しかねる。
 ところで、2月19日から4月1日まで練馬区美術館(西武池袋線中村橋から5分)で中村正義展が開催される。この人も天才だと思う。自由自在な表現力を持って、まことに自由に描き絶えず変貌を繰り返した。ピカソにも匹敵する人と思うのだが、反日展の旗印を掲げたりしたせいか、未だにあまり人に知られていない。ぜひ多くの人に見てもらいたい。

2012年1月13日(金)
昨日

 10月に行った情報開示の請求が却下され、直ちに異議の申し立てを行ってから2月半を過ぎて一部開示との連絡があったので、昨日他用のついでに汎美の旧新二人の事務局長にもお付き合いいただいて、鶯谷の都美術館リニューアル準備室に寄って開示文書の閲覧をしてきた。結果は惨憺たるもの、まるで愚弄されたとしか言いようのない結果であった。これが官の民に対する態度というものか。こちらはまじめな納税者なんだぞと言いたくなる。
 都美術館の平成24年度以降使用に関する第2次審査が恣意的に行われ、我々の汎美が最低のランクに落とされたがために期待外れの結果に終わったとの疑惑があって、その審査基準と審査の議事録の開示を請求していたのだ。
 渡された一枚だけのコピーには基準のみを開示すると言いながら、すでに分かっている審査項目だけが並んでいて、その右の二列の欄は黒塗り、これでは何も開示されなかったのと同じ。それで手数料とコピー代220円はきちんととられた。いくつか質問してみたが肝心のところは答えは無い。記録の非開示の理由である「混乱をきたすおそれ」についていかなる混乱かと聞いたが具体的な回答は無く、また審査の結果についてはどうかと聞いても「開示されると困る団体があると思われるから非開示」と言った薄弱な理由しか聞けなかった。
 対応した二人の担当者に何を言っても無駄と感じ早々に引き揚げ、近くで3人でご苦労さん会をして帰ったのだが、私のいつもの癖で当座は冷静に対応していながら、後で腹が立つやら情けないやら。夜もよく眠れなかった。
 この問題、先の国立新美術館の5年ごと見直しの際に、私の投じた新聞投稿が美術館側の思惑を揺さぶったらしく、追い込まれた美術館側が折れて、結局小規模団体も全て契約延長にもち込んでしまった経緯から、次いで行われた、改修後の利用団体募集における都美術館の対応の仕方も大きく影響を受けて、表向きはきれいごとを並べておいて実際は恣意的な審査のできる体制を作り上げておいて、私の投稿に対する仇を打とうと我々の汎美を罠に落とし込んだとしか思えない。それをそのままにしておくと害毒はさらに広がると考えられるからと思い、その審査の実態を知り、なんらかの手掛かりがつかめたらっ訴訟で決着を迫ることも出来るかと、繰り返し開示請求を行ってきた。その結果、一部開示でもいくらかの進歩かと思って行ったらこの体たらく。まるで孤立無援の中で、いじめにあっているような感じだ。
 昨年の経験で、情報開示とか行政不服審査とか表向き並べられていても、実際利用しようとすると官僚側の態度の冷たさには驚かされる。まったく「よらしむべし、しらしむべからず」の封建時代のままではないか。これで民主国家と言えるのか。

2011年12月26日(月)
中村正義と村山槐多

 急に、家内も行くと言いだしたので、予定を伸ばして一日遅れで昨日名古屋と岡崎に行ってきた。寒い日で時々日が射してはいたが、夕方岡崎の高台の公園の中の美術館前は雪だった。
 まず、名古屋市美術館の中村正義展。思ったより広い会場を精一杯使った大規模な展観で、初期16歳くらいから見事な技を見せていたが既にキュービズム的なものの見方などが見えていて伝統的な日本画の枠に収まらない未来を予感させていたのがわかる。日展の会員になるころには、これでは師岳稜も対応に困ったのではないかと思わせる、ヌードの舞妓や目の赤い舞子に真っ赤な衣装の舞妓と言った作品が続き、日展を飛び出す前後には強い懊悩を感じさせて異様に暗鬱な雰囲気になるが、国際展などで活躍するようになると一転して強烈な原色の乱舞になる。
 描画技法もあの手この手如何にして描いたのか分かりかねるものもあり、イメージは自由奔放の強烈さ。見ていて絵とはこんなふうに描くものだよと、横っ面を張られているような感じで、息苦しいくらいなものであった。
 異端反骨の画家と言うイメージが先行しているが、実際は色彩感覚も構成力も描画技術もずば抜けており、画面の隅々まで神経が通っていてその繊細さは驚くべきものがあるし、社会性の強いテーマを取り上げてみたりもしていて、天才の名にふさわしい人だったのだなとつくづく思った。このような画家が日本にいたのに、すでに一部の知る人ぞ知るの存在になってしまっているのは惜しい。海外に押し出せば世界的にも高い評価を得たであろうし、今もてはやされる村上某とか奈良某とかいう連中もこの人の作品とともに展示されたら、目も当てられないことになるのではないか。
 ピカソも顔負けの次から次への自由な展開があり、52歳で癌に倒れた短い生涯が惜しまれる。反日展の旗印を掲げた東京展を主宰して間もなく、その過労が引き金になったのではないかと思われる癌の再発であった。今度彼の生涯をたどる映画もできると言う、もっともっと世に知られてよい画家だと思う。彼が師岳稜から破門されて日展を飛び出した時に岳稜が、今後一切彼にかまうなとのお触れを画商や評論家などの画壇に回したとか言いう話もあり、そのため中央での大規模な回顧展などが出来なくなっていたとも言われる。東京では2月に練馬美術館での開催が決まっているが、名古屋市美術館よりも小さいので規模はだいぶ縮小されそうだ。
 ここで時間を食ったので岡崎市美術館には閉館1時間前の到着になった。名付け親が鴎外だったらしいと言うことや、山本鼎が従兄弟で彼の画家への道を援助したとか、小杉未醒との交友とかの恵まれた環境が槐多の文芸と絵画の領域で熱狂的な活動を助けた。恋愛感情や欲望をあからさまに歌った直情的な詩や絵画で知られるが、絵画の技量では、正義を見た後だったせいもあるかもしれないが、素人っぽさがあり、赤(がランス)や青(ウルトラマリンとビリディアン)を多用した透明感のある水彩画の色彩や油彩の激しいタッチなど見るべきものがあったが、絵画作品からの感動はそれほどではなかった。
 美術館から駅に向かうタクシーの窓から見た、濃い雲に挟まれた一線の夕焼けが印象的だった。東京駅で夕食を食べてい家に帰り着いたのは11時過ぎであった。

2011年12月13日(火)

 8日から2泊のツアーに参加して家内ともども奄美に行ってきた。寒波の襲来した時期で、思ったより寒かったし強風が吹きしばしば雨もぱらついたが、結構楽しめる旅だった。沖縄に近いから似ているのだがまだ観光開発があまりされてない素朴な感じが良かった。ホテルや観光ポイントのの周辺でも、人影も車も少なくひっそりしていた。
 奄美空港到着が午後3時近くだったから、初日は北部の笠利崎灯台とあやまる岬を訪ねソテツの原生林などを見ただけで、あとは暮れなずむ中を一路南下して、大島南端のホテルに入った。灯台と岬では小雨混じりの強風に翻弄されたが、リーフの端に砕ける波は迫力があった。二日目は岩と波のホノホシ海岸を経て、古仁屋港から海上タクシーで加計呂麻島に渡り、諸鈍のデーゴの並木や呑の浦の特攻艇震洋の基地跡や安脚場の旧軍の要塞跡などを見てまわり、ハブの多発地帯の話を聞いたりした。この南の濃い緑に埋もれた深い湾の奥にひっそり作られた特攻基地で、隊長が28歳という若い人たちが確実な死を目前にする日々をどのような気持ちで送ったのか。幸い出撃命令が出て待機中に8月15日を迎えたとのことではあったが。
 旅行社の案内には大島海峡クルージングなどと書いてあったが、小さな窓の小さい船に詰め込まれて強風下を突っ走るのはあまり良い気持ちのものではなかった。大島に戻り、鹿児島から沖縄まで続いていると言う国道を北上しマングローブの林を見おろしたりしてから、東シナ海に面した大浜海浜公園で再び強風下の荒れた波の、リーフ独特の鮮やかな緑の海水とサンゴ砂の肌色がかった美しい白砂に加えるにアダンの濃い緑のコントラストの彼方に砕けるのを見てから、奄美物産センターに寄って土産物などを買い、北からの深い湾入の先近くのホテルに入った。夕刻薄暮の迫る中を湾口の見えるところまで往復30分ほど歩いてみた。夕食は名物の鶏飯で島唄と踊りの披露があり、締めくくりは賑やかな三線と太鼓に合わせて全員が見よう見まねで踊った。

 三日目はホテルの従業員総出の太鼓と三線に併せての踊りに送られて出て、黒糖焼酎の工場で見学と試飲で良い気持ちになってまた土産物を買いこみ、次いで大島紬の工場を見学、その大変な手間のかかる作業に驚き、ちょうどぴったりの帽子を見つけて買い、用安海岸に出て昼食の鶏飯を食べた。この海岸ではすでに風も収まり波が穏やかであった。次いで奄美パークで田中一村の美術館を見て、まもなく空港に至り無事に帰京した。一村という人の作品には何か自らの技と知に溺れているような感じがあって、近づきがたい所があり、この人が生前世に受け入れられなかったのも仕方がなかったのかと思えた。
 東京は寒かったが晴れていて、着陸直前の機窓からは、東に満月の上るのが見え、西に沈む太陽が見えて富士の姿もあった。その夜は皆既月食であった。
 残念ながらハブや黒ウサギや瑠璃カケスにはお話だけでお目にかかれなかったが、ソテツやアダン、ガジュマルやヒカゲへゴ、デーゴにマングローブと言った亜熱帯植物相の変化の面白さにハイビスカスやブーゲンビリアの花などが加わり、一方サンゴ礁に囲まれた海岸特有の鮮やかな海の色と砂浜の美しさがあり、異郷と言う感が深く、非日常に触れられる旅であった。

2011年11月29日(火)
ちかごろ

 気になることが多い。まずは大阪のダブル選挙とその結果。そろそろまだるっこしい民主主義に飽きが来ている人が、増えて来ているのじゃないかという危惧を以前から私は感じていたのだが、これがその表れではないのか。ちょっと格好良い、弁が立つ、そして敵を明確にして戦う姿勢を見せると言ったことの、いはばタレント的な当たり芸で、付和雷同が生じてしまったのではないか。本当に彼らの政策を理解して賛同したのなら良いのだが、上っつらの人気に乗った票が結構多かったのではないのか。大阪都構想とかいうものの利点がどこにあるのかも、ちょっと理解しにくい。結局は自分がより大きなお山の大将になりたいと言うことではないのか
 民主主義と言うのはまことにまだるっこしい制度で、すべて話し合いから出発しなければならないし、少数意見も無視すべきでないし、でまことに非能率。そこへ持ってきて現状は経済的な不況の永続と政界を覆う無気力感の時代、そこへ天災と人災が重なって、今やこの国の状況はあのナチスが台頭した第一次大戦後のドイツの状況と似てきているんじゃないだろうか。で、その閉塞的な雰囲気にうんざりして風穴をあけてくれそうな、改革を主張する強いリーダーに頼りたくなる風潮が高まって来ているのではないか。。
 敵を明らかにしそれに向かって旗を振り回すのは、これまでも権力を握ろうとするものが登場するときの常套手段ではなったか。橋本もその手を使っている。これがエスカレートすると恐ろしいことになる。まさかとは思うが、またあの赤狩りの暗い時代が来る可能性だってあり得る。既に彼は選挙で圧勝したことで民意を得たとし、早速反対者をその民意に背くものとして糾弾し始めている。大阪市庁舎で職員に民意に逆らおうとする者は去れと言ったとか。
 これは選挙のたびに思うのだが、大差で圧勝とか言われても実際は3分の1以上のアンチ票があったわけで、それを多数決が民主主義だからとバッサリ切り落として良いはずがない。なかでも気になるのが、教育改革とか言って教育委員会の頭越しに行政がトップダウンで教育界を指導しようとしていること。人間教育よりも学力成績の向上だけを重視して、その線に沿った指導力のない教師はクビにするぞと脅かしている。校長が一定の比率で教師をランク付けすると言う。これでは教師同士は競争意識に追われて、協調し教え合い支え合うような温かい雰囲気の学校は無くなるだろう。当然生徒も少数のぎすぎすした学力だけの優等生と、多数の落ちこぼれに格差付けされてしまうだろう。権力者はえてして教育に介入したがる。それを防ぐためにすでに形骸化している部分もあるとしても、一応教育基本法や教育委員会制度があったのに、それを無視しようとしている。
 もちろんこれはまだまだ私の勝手な危惧の段階である。橋本と言う人物についての知識も浅いし彼の識見がいかほどのものかも知らないし、国民の側もまさか独裁者の出現を許すほど未熟ではあるまいが、この先の維新の会とやらの動向には注目していかねばならないと思う。維新の会とは何なのか、橋本の顔だけが見えていて、新府知事をはじめとして誰の顔も見えてこない。皆単なる自主性のない一兵卒なのではないか。
 もう一つ気になるのが、震災復興と原発事故処理の影に隠されてしまったかに見える、地球温暖化の問題。政権交代後の初代総理はCO2を25%削減するなどと言っていたが、結局それは原発をこの地震列島に尚10基以上増設することを想定しての目算であった。福島の事故で原発増設が雲散霧消してしまった今、この国が主導して設定した京都議定書の6%の削減さえもが無理だから、京都議定書の延長には反対し脱退すると言いだしている。情けない話だ。
 地球上は今や気候変動の嵐に見舞われて、洪水や干ばつや海面上昇、生態系の悪化などの事態が深刻さを急激に増しているのに、原発増設がダメになったらお手上げで対策が取れないと言うのはまことに無責任な話ではないか。もう我々はそれこそ必死で省エネを図らねば、子孫に大きな負荷を負わせてしまうことになるとというのに。
 他にはもちろん原発事故のことがあって、いつも頭から離れないか、ら今描いている作品(120号)に「セシュームの秋」とでも名付けようかと思っている。試みにhttp://surfdayz.jp/?p=1658を覗いて見てください。ひどい話です。つくずく原発安全神話を垂れ流して、ここまでこの国を引きずってきたきた人々を恨めしく思います。
 EUが経済的に危機迎えているが、これは資本主義と言うものの末期症状だと思う。社会主義や共産主義の実験が人間の本能を無視したために失敗して、今や本能のままに動く自由主義資本主義経済の泥沼だ。ここから抜け出す方法はないのか。五万といる経済学者たちは何をしているのか。どっちにしても増加する世界人口に対して、資源の枯渇と環境問題で縮小するパイ。そのパイをどのように分配すればよいのかの問題だと思うのだが。
 キリがないからもうやめるが、年賀状に「良いお年を」何て書く気になれない師走だ。

2011年11月15日(火)
感想

 ブリジストン美術館の野見山暁冶展を見て、強い感銘を受けた。具象的なイメージと抽象的表現性との間をさまよってきた長い道のりの結果の、自由奔放ひたすら描き殴ったような近作の強烈なフォルムと色彩。既に90歳にして大作をどしどし描いておられる。聞くところではそのトシで東北の被災地を一週間かけて取材してきたとか。最近の談話を読んでも闊達なものだ。私もそのくらいのトシまであのくらい元気であれたらと思うが、およそ、おぼつかない。
 私は以前から、この方の作品には親近感を感じていた。発想や制作の過程の基本的なところで、私の方向と一致している部分があると感じていたから。できる作品の相貌は全く異なるのだが、その違いはまず油絵とアクリルの違いから来ているし、彼は発想の段階から黒を基調に仕事をすすめているのに対して、私は黒を避けてきた。この材質や技術の2点で全く異なる表現になっている。もちろん両者の体質や個性の違いが大きい。彼の個性は粘りっこく重く暗い感じだが私は明快を好む。私が自然を対象にしてありのままいはば古典的なのデッサンを続けているのも、彼のデッサンに対する態度とは異なるし、戦後すぐからの長いフランス滞在があって、画壇での位置を得、芸大の教授だったりした経歴はうらやましい限りだが、私とは異なる。
 それでもなお、彼の作品には親近感を禁じ得ない。私のイキアタリバッタリズムに近い、直感的な画面との応酬のうちにイメージをどんどん発展させていく描き方だと思う。抽象表現の傾向が強いが、根に具象的なイメージが存在しているのも共通しているのではないか。近頃久しぶりに腹にこたえる展覧会であった。

2011年10月23日(日)
仙台

 震災後なかなか行けずにいた郷里仙台を、やっと訪れることが出来た。夫婦で20日の朝でかけて、昼過ぎに松島の湾口に並ぶ浦戸諸島のうちの桂島に、連絡船で渡りスケッチをした。この島は南側が太平洋に面しており、そのためそちら側の海水浴場とそれに続く平地部分が津波に襲われた。平地の北には高さ15m前後の脊梁があり、そこを超えて北側の集落にも波が来たとのこと。その脊梁の峠を抜ける道の両脇から始まって南側の集落は山上の家を除いて殆ど壊滅しており、廃棄物が堆く積み上げられ何代かのユンボが動き回っていた。そこを通り抜けて海水浴場だった砂浜に出ると、ヨットやボートや大きなコンテナと思われるひしゃげた鉄の箱がいくつか打ち上げられていた。そのヨットなどをスケッチしたのだが、晴れて明るい白い砂浜と青く広々とした海を前にして、これらの船に乗っていた人の運命を想像したりすると、たまらなくさびしいものが感じられた。
 翌日は仙台市の西の郊外にある老人施設に姉夫婦を見舞った。二人とも80半ばで、姉は脳梗塞の後遺症があり心配だったが、狭い個室で夫婦が暮らしていて思ったより元気で、夫君の運転する車で外出するのが楽しみとのことだった。
 午後は二宮先生加藤
先生の二人の恩師の作品が、特別展示されていると聞いた県の美術館を、ゆっくり見た。両先生の作品は懐かしかったが思ったより数も少なく、一緒に展示されていた大沼さんと言う戦時中に30台で亡くなった女流画家の大作群が、なかなか見事な力強い表現力を見せていて、戦後も活躍出来たら相当の名を挙げ得たのではないかと思われた。佐藤忠良の記念館は作者の人柄をしのばせる静かな良い雰囲気だった。
 肺がんの後遺症で疲れやすい家内を連れていたので、一泊二日ではこれで精いっぱいと言う感じで、他の身寄りや知人たちには失礼して帰京した。

2011年10月12日(水)
しばらく休みました。

 再版を夢見て「デッサンや油絵のすすめ」のブログをワード文書にリライトし始めてたりしていましたので、文章を書く気になれなかったのです。
 この間いろいろありました。世情も震災復興と原発と欧州に発する経済危機、それに集中豪雨禍などなどいろいろありましたが、私自身に関しては行動展にだいぶ振り回されておりました。搬入受付のキャップをしたり審査からギャラリートークなどなど、この機会に地方の出品者などが都内で個展を開くことも多くあり、そのお付き合いもありました。会期中案内を送った方々の半数近くの方にお出かけいただいたようで、感謝です。そんなことで制作の方にはあまり時間が取れず、8月は60号9月は50号のそれぞれ一点づつしか描けませんでした。残暑が長引いたことにもよりますが。
 山の方は、8月初めの秋田駒ヶ岳のあとは、9月半ばに北八ヶ岳の北横岳から双子池一泊で雨池→麦草峠→高見石→奥渋を歩いただけにとどまりました。好天には恵まれましたが、北横岳の頂上で道を間違えたばっかりにごろごろの岩の難路を双子へ下るハメになったのと、高見石からの賽の河原の下りで思ったより難渋したことで、またまたトシを感じさせられました。体の動きが年ごとにどんどん鈍くなっていきますので、もうよほど楽なコースしか行かない方が良いと言うことかなと、思い知らされた感じです。
 この9日からは、汎美の自然に親しむ会の10人くらいのメンバーで、家内ともども榛名湖に二泊で行ってきました。好天に恵まれまことに良い気持ちで、10号の油絵2枚と水彩を一枚仕上げて来ました。

2011年9月20日(火)
9月19日

 明治公園で行われたさようなら原発集会は60000人の人波が会場を埋めて盛会でした。大江、落合、澤地、鎌田、内橋と言ったそうそうたるメンバーが語り掛け、色とりどりのゼッケンやプラカードや幟ばたに彩られた会場は大いに盛りあがりました。
 私は早めに行ったので舞台脇の木陰に陣取ることができ、ケータイで連絡を取り合って汎美の4人と落ち合い、その後のパレードは原宿渋谷コースに参加。手作りの「原発はイツカキット国ヲ亡ボス」と書いた幟ばたをかざして歩きました。終点間際にタクシーの窓から顔を出して手を振っていた大江健三郎に出会いちょっと握手。NHK脇で解散後近くで乾杯。原発論議に花が咲き、高揚した一日でした。
 しかしテレビや新聞などマスコミの反応の鈍さにはがっかり。あれだけの人が全国から集まって意思表示したのだから、もっと大きく扱うべきではないのかと思います。なにか意図的な抑制が働いているのではないでしょうか。
 そういえば最近聞いた話では、福島第一では、地震ですでに配管や配線などが大幅に破損していたとのこと。つまり津波以前に危機的な状況に陥っていたとのことで、全てを想定外の津波のせいにしてきたこれまでの公式発表が嘘になる。となれば津波対策ばかりを掲げる安全対策とやらも、あまり意味がなくなる。原発のほとんどが活断層の近くにあるという現実の怖さが身に迫る。
 一方で放射能除染土やごみ焼却灰の放射能が問題になっている。膨大な量になるはずだがいったいどこに持っていくと言うのか。この狭い国土に放射能禍は広がるばかりだ。溜まりに溜まっている使用済み核燃料のことも含めて、やはり、原発はすべて早急にやめてしまうべきだ。

 今はまだ良い。チェルノブイリ同様、数年後に徐々に癌死者が増えてくるのではないのか。それはほとんど全国的な現象になるのではないか。

2011年8月14日(日)
8月

 6日の広島、9日の長崎そして明日は終(敗)戦記念日。66年前の私は国民学校の3年生で、7月9日の仙台大空襲後に急遽行われた学童疎開で、親元を離れ6年生の兄と宮城県秋田県境の宮崎村にいた。体調を崩して村に一軒だけの医院に入院、畳敷きの病室で隣室のラジオの音を聞いていたが何を言ってるのかはわからなかった。前夜半上空をB29の群れが通過していった。秋田が襲われたのだった。

2011年8月5日(金)
やっと山に行けた

 7月の晴れて暑い時期は、なんやかやあって出掛けられなかった。やっと暇になったと思った頃は悪天候続き。やっと見つけたチャンスには風邪を引いていて。天候もよくなかった。この間秋田の辺りだけが晴れマークが出ていて、久しぶりに秋田駒ヶ岳に行ってみようかと計画を立てていた。で、やっと3日と4日が良さそうだとなり、風邪も収まったので急遽出かけた。間際になってこの時期は東北3大祭りの期間、就中3日は秋田竿灯の始まる日と知った。新幹線指定席は取れず、自由席は満員が予想された。思ったっ通り大宮で座れず暫く立ちんぼうかと思っていたら、子供と並んで座っていた若い母親が子供を膝に抱いて席を空け譲ってくれた。ありがたかった。
 駒ヶ岳は秋田と岩手の県境に位置し、秋田側のコースの8合目までバスが入るので、そちらから登るのが一般的になっているのだが、私は過去2回とも岩手側の国見温泉に泊まって入山している。今回もそれに倣う。なぜならこちら側からの登路は、複合火山の秋田駒ヶ岳のカルデラの中を通って行けるので、変化に富んだ地形と豊富なお花畑に出会えるのだ。
 宿は素朴な湯治宿、おばあさんとその息子らしい男性の二人だけで切り盛りしていて、何かと声をかけてくれる。盛岡で田沢湖線に乗り換えて赤渕の無人駅に降りれば、宿の車が出向かえてくれていた。15分ほど山の中の登り道を走って、宿に着いたのが3時過ぎ、何もすることがないから、足ごなしに明日登る道を1時間ほど登って一汗かき、風呂につかる。湯は緑色で表面に湯の花の細かい結晶が一面に浮いている。夕食時どこかの会社の役員とかの男性と知り合う。百名山を辿り終えたばかりとか。私より4歳くらい年下。
 予報は秋田は晴れだが岩手は曇り。どうなるかと思って、朝5時半の出立のつもりで起きてみたら外は細かい霧雨。がっくりしてしばらく様子を見て、8時近くに雨がやんだから出掛ける。樹林の中の道を登り一時間ほどでカルデラの外輪の一画に立ってみたら、霧が晴れて目の前に富士山型の女岳が見えた。どうも、秋田側ははじめから晴れていたらしい。外輪の稜線は暫くほとんど平らな道で、登りにかかると間もなく森林限界で道の両側の草薮に色とりどりの花が咲き乱れる。草地から火山灰の細かい礫に覆われた大焼砂に至り、道が分かれる。まっすぐ稜線を登れば横岳だが、私は左に斜面をへずる道をとる。
 黒い焼砂の斜面には点々と高山植物の女王と言われるコマクサが咲いている。道は緩やかに下ってカルデラの底に向かう。そこは一面の草地でお花畑。残念ながらその一面を広く覆って咲くはずのチングルマは既に花が終わって、名前の由来の渦巻き傘状の実になってしまっていたが、黄や白や青紫の名も知らぬ花々が一面に咲き乱れている。右に外輪の壁が立ち上がり、左は大小二つの火口丘の女岳と小岳の斜面。正面に五百羅漢の岩峰群を従えた男岳が立ちはだかるように見えてくる。周辺に白い綿のような花が咲き乱れる駒池のほとりから、やや登りになり右に曲がって外輪の壁に取りつく。急登であり、時には草をつかみ岩にすがるようにしてつづら折れを登る。なかなか厳しい。ふり仰げば緑の壁の上の青い空。ここまでは夢のような素晴らしい景観を独り占めで来たのだが、下ってくる人に何人か出会う。追い越して登る人もいる。登り終え稜線に出て一休みしてから男岳に痩せた稜線を辿り、頂上に立つ。眼下に田沢湖が見える。振り向けば辿ってきたカルデラと火口丘が織りなす複雑な地形が見下ろせる。
 岩手側からしつこく上ってきていた霧がやや優勢になり、寄生火山で最高峰のの男女岳(1637m)とその下に横たわる阿弥陀池の辺りは、去来する霧の中を進む。おかげで眺望の範囲は限られて、山頂からはお隣の岩手山なども見えない。しかし池の周りのあたりも高山植物の宝庫で、目は十分に楽しむ。下山のバスの時間に間に合わせるように、男女岳の西斜面を回り込む道を8合目に向かう。1時間弱の緩やかなくだり道だから、こちらから登るのは楽だろう。霧が去って再び強い日差しに輝く濃い緑の中の道を行く。正面に乳頭山の特徴ある姿が見えてくる。以前来たときは2回とも、長くて緩やかな起伏の稜線を辿ってあの頂きを踏んだ。
 バス停のある駐車場広場に着くすこし手前には右手に鉱山跡の荒廃した山肌がそびえる一画があり、アクション映画のロケ地に良いななどと思う。売店や休憩所などもあるとガイドブックにあったが、それらしいが何も売っていはいない建物が一棟だけの静かな駐車場。湧水があって冷たくて美味い。たっぷり飲む。あとはバスで田沢湖駅にいたり、3時過ぎていたが遅い昼食を摂り4時過ぎのこまちに乗って帰京。8時過ぎの帰宅。ビールがことのほかうまかった。
 

2011年7月18日(月)
なでしこJapan

 世界の檜舞台で優勝するとは恐れ入った。体格でははるかにでかい相手に先取点とられてもいじけずに、粘り強く最後まで頑張って逆転した。その精神力は見上げたものだ。
 私は21世紀になった時、その当時の日記か掲示板かに、21世紀は女性の世紀になるのではないかと書いた覚えがある。一つには20世紀が戦争の世紀と言われていたことから、戦争は男の仕事だから女性が強くなれば戦争がなくなるのではないかとの願望があって言ったのだが、平和の方はまだ達成されずに女性の世紀の方だけが進んでいる。もっとも戦争の方もテロとか宗教や民族や部族の対立からの争闘ばかりで、20世紀型の国対国の戦争はすでにほとんどなくなっているから、良い傾向にあるのかもしれないが。
 たとえば身近なところで、私が属する行動美術とか家内の属する団体の展覧会での、受賞者や会員推挙などが発表されるのを見ると10中8〜9までが女性なので、女性が強くなったのか男性がだらしなくなったのかしらないが、女性上位の社会になってきているのはたしかです。男性の一人としては喜ぶべきことかどうか困るところだが、原発反対や環境問題でも子供を持つお母さんたちがまず強く関心を示しているようで、やはり世の中良い方向に向かうのではないかと期待いたしましょう。
 ただし、女性が結婚しなくなったとか結婚してもちょっとのことで嫌気がさすとすぐ離婚してしまうとか、子供を産んでも育てられない母親が増えてきているなどという風潮からは、忍耐心とか社会順応力などの点で甘やかされて育ったヤワな女の子が増えてしまっているのではないかとも思わされ、世界の水準に比べてもこの国の女性の社会的進出の程度で(例えば代議士や閣僚における)の低さもあって、女性上位と言ってもまだまだこの国では上っ面のことかなと思います。そんな女性たちに頑張れば夢を他達成できるというメッセージを送った、なでしこジャパンの力がこれからどのように世の中に響いてくれるのかと期待しましょう。
 ところで、平和が続けば当然争闘という活躍場面を失った男性は、その社会的存在意義そのものを疑われかねない弱い立場に置かれます。遺伝学的にも何世紀か後には男性は存在しなくなるという学説もあるとか。
いやはや。

2011年6月29日(水)
今日は暑かった

 ついに夏が来た。都心は35度まで上がったらしい。もっとも、狭い庭にむやみと木が茂っている我が家はそのおかげで31度くらいまでで済んだようだが。暑い日には具沢山の味噌汁でほどほどの塩分やミネラルと水分を摂取し、昼下がりを昼寝で越せば冷房なしでもすごせる。我が家にもエアコンはあるが、夏場はめったに作動しない。
 昨週急に暑くなった日にはさすがに熱中症的な不調が若干体に表れたが、金曜日に山に行って一汗かいたら、体の調節機能が復活したようだ。お山は白谷沢から棒の峯そして小沢峠。一般のハイキングコースでありながら、立派なゴルジュや鎖場もあってちょっとした沢登り気分を味わえる白谷沢は、涼味もありこの時期にはありがたいところだ。標高が1000mをわずかに超す棒の峯の広い山頂も、下界よりはだいぶ涼しく眺望も開けていて気持ち良いところだ。小沢峠からは、これまでいつも下っていた小沢とは反対の上成木に下ってみたが、これは失敗だった。集落は近かったが、バスが少ないうえに店もなく、からからに乾いたのどで自動車道を40分も歩く羽目になった。
 さて、今日は何度もF200のキャンバスの前に立ったが手が出せなかった。いったんお蔵に入っていたのを再び引っ張り出して、二日にわたってだいぶ手を入れることができたのだが、そろそろ潮時かもしれない。「想定外」といった言葉が頭にあるがいかにも直接的で面白くない、もっと良い題名はないかと思う。
 ところで株主総会の時期だということで、東電などのそれでは脱原発の意見が出されても結局圧倒的多数で否決されてしまうとのこと。株主人種なんてものは、もともと目先の株の値段だけが問題なのだから当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、まだまだ原発の恐ろしさや核廃棄物処理の始末の悪さなどには無関心な人々が多いのだろう。首相がつい口を滑らした「次の総選挙では脱原発が争点になるかも」とかの話が現実になったとしても、結局金とか景気とか産業開発や雇用の問題にすり替えられてしまえば、推進派が勝つのではないか。いつの日か、あれだけの事故を経験しながらその教訓を学ばなかった者たちとして、この国は笑いものになってしまうのではないか。
 私は神がかりのようなことは嫌いだが、今回の事故には何らかの大きな超常的な意志が働いたのではないかと思わずにはいられない。経済主導の日本と言う国の原発の中でも、最も古い形のために弱点が多くて、首都圏などとの距離関係から見てもほどほどで、人類への警告の第一弾としての効果も十分あると思われる福島第一が、見事に狙い撃ちされたと言う気がするのだ。これを自然あるいは地球からの警告として受け取るべきではないかと思う。核はまだまだ人間の手に負えない、手を出すべきでない領域にあると認識すべきではないか。

2011年6月17日(金)
雨のち曇り

 6月も半ばを過ぎたというのに、妙に肌寒いような日が続いている。太陽の活動が低下していて、そのために地球の温度が低くなるのではないかという話があるが、そのせいだろうか。温暖化の傾向とこの話はどう噛み合うのか。どちらに転んでも、気象の変化が荒っぽさを増し荒れたものになるのではないかと思うのだがどうだろう。
 私は目下描いている150号に一応メルトダウンと名付けてみて描き進めているが、色彩は明るくますます鮮やかになり、、私の憂愁とは別物の方向に行こうとしているように見える。しかしこれが私の正直な表現のはずなのだから、致し方なしだ。メルトダウンとは、やはり原発の事故でも最も悪い事態なのだ。それが3基そろってだから恐ろしい。当然すでに大量の放射能をまき散らしているはずだし、放射能除去装置の付いた水の還流装置が動き始めて、一定の温度に保てるようになったとしても、基本的には何の解決にもなったわけではない。容器の底に固まった高度放射能物質のヘドロはどこに持っていくこともできず、そのまま容器に密封して半永久的に保存するしかないのだろう。常に注水を続けねばならず、またいつまでも容器が無事であるはずもなく、いつまた再び地震や津波に遭遇しないとも限らない。放射能除去装置に残される高濃度放射性廃棄物の処理方法さえも、めどが立っていないとか。となれば周辺の立ち入り禁止が解除される見通しも半永久的にないのではないか。これは尖閣や竹島なんか問題にならないほどの、しかも農地として人の住む町として機能していた貴重な国土が失われると言うことだ。この責任はだれがとる。いはば国家に対する反逆罪に値するではないのか。
 経済優先の金亡者たちが安全神話を隠れ蓑にして、原発を推進してきた。弱い過疎地域の自治体を、札びらで服従させて原発を作ってきた。業界と結びついたこれまでの保守政権がそれをやってきた。その連中がその尻拭いに奔走している現政権を、何のかんのと言いがかりをつけて引きずりおろそうとして躍起になっている。見られたものじゃない。保守党や財界や業界からは、未だにこのことに対して謝罪や反省の言葉がないのはなんということか。その連中は何かと言うと愛国心云々と言い、国歌や国旗を敬えなどと言ってきた連中ではなかったか。その連中が国土を失うもとを築いてきたのに何の反省も謝罪もなく、目先の政権取りだけに熱中したり原発の存続を策したりしている。新聞のコラムで政界消息通の伝えることとして保守党や民主党の一部が菅おろしに躍起になり始めたのは浜岡を止めた時からで、彼に任せておくと原発廃止に踏み切りかねないとの判断からだということだ。道理で理由のさっぱり呑み込めない不信任案上程であった。
 そう言えば最高裁で、卒業式で日の丸君が代に敬意を表しない者に対する処分を合憲とする判決が出た。これも恐ろしいことだ。三権分立が民主国家の要と教えられてきた者にとって、司法が行政に寄り添ってしまっている現状は恐ろしい。戦前の治安維持法の時代に逆戻りしかねない不安がある。
 原発についてはっきり将来的にしろ廃止の方向を打ち出している政党は社民党と共産党だけで、東京でも青森でも原発推進派だった知事が再選されている現状、解散総選挙になればまた保守党が政権に返り咲くらしい。世界的に見ても、これだけ注目されている原発事故を経験しながら原発推進を容認する政治形態を温存させるのというのは恥ずかしい話。
 そんななかで原水禁が主体となって「さようなら原発1000万人アクション」と言う動きが表れたのでとりあえず賛同の署名を送っておいた。良識派の知識人たちが多数賛同していることもあって大きく広がる可能性があるから、協力していきたいと思う。1000万の署名と50000人規模の集会を計画しているとのこと。ただし集会が9月と言うのはちょっと遅すぎる気がするが。

2011年6月2日(木)
一日雨、肌寒い日でした。

 国会で茶番があった。不信任案はこの火急の時節に無駄な時間と労力の浪費であったから、提出したり同調したりして騒いだ連中の罪は軽くない。現政権の肩を持つつもりはないが、我々庶民には現政権の災害や原発への対応のまずさや遅さをあげつらわれても、どうもピンとこない。右往左往しているという感じはあったが、それなりに一生懸命やっているのではないかと思っていた。現首相は市民運動から出て来た人だから、いわゆる人脈とか裏ワザとかが横行するらしいいわゆる古い体質の残る政界からは浮いているのではないか。そのために危急の場面でまごついたり後手に回ったりしていたのではないか。それが保守政党などの実力者たちには歯がゆく見えたのかもしれないが、その辺は庶民には見えない部分。ひたすら無駄な茶番劇にしか見えなかったということだ。だいたい現政権を引き摺り下ろしてもそのあとの展望が全く見えてこないではないか。誰がやっても今以上のことができそうには見えないではないか。
 ところでこのごたごたのかげで気になる動きがある。大阪府のタレント的人気の若造知事がとんでもない条例を提案しそれが多数与党の力で通ってしまうと言うのだ。選挙の時にはそんなことは一切言わず府民受けする公約を並べておいて、いざ多数を獲得したら公約とは関係ない勝手な条例を作ってしまう。ナチスが政権党になった時と同じような乱暴なやり方だ。
 日の丸君が代に敬意を払わない教師はクビにするという条例。悪名高い都の教育委員会よりも一段進んだ右傾化施策。名ばかりに成っているとは言え、一応教育の独立を守るため行政の影響をもろにかぶることのないようにとして設けられている教育委員会を通り越して、条例で行政が直接教員の判断と行動を縛るというもの。それよりも今の若い人たちに、このように戦争の記憶が失われてそれ以前の明治憲法下の国家体制への憧憬のような雰囲気が生まれているのかなという、不気味な不安を感じさせる事件である。
法で縛られて、うっかりものも言えなかった時代へ逆戻りするのではないのかという不安。多数派のために少数派が圧殺されてしまう時代が来るのではないか。
 私は著書の中にも書いたが、日の丸についてはその単純明快なデザインの美しさを認めるがゆえに、その危険性も強く感じている。戦時に侵略を受けた側の東南アジアの人々にはその強いデザインが未だに頭に残っているだろうし、戦時中の標語、「一億一心火の玉だ」のイメージそのままであり、愛国心の名のもとにすべての異論を排してしまうような心理傾向にぴったりのデザインであるとも思っているから、オリンピックなどで掲げられているうちは良いが、これに忠誠を誓わせられたりするのは御免である。君が代についても同じように独特の音域のメロディーがオリンピック会場などで独自性を発揮するのは良いが、歌詞の「君」はどう見ても天皇を指しているとしか思えないから、明治憲法下のこの国を思い返さざるを得ないのだ。
 私は愛国心において人後に落ちるつもりはない。四季の変化の豊かなこの国の自然と基本的にまじめで心優しい人の多い同胞を心から愛するし、自由と平等が一応保障されている現憲法下の日本に生きられて幸せだったと思っている。天皇に対してもいろいろ国事に振り回されいつも模範的なほほえみの表情しか見せられず、プライベートが極端に制限されている生活に同情を感じご苦労様と言いたいが、我々と同じ人間であることに変わりはなく、この人に忠誠を強いられるような時代には生きたくない。
 しかし国旗と国歌と天皇のどれにも忠誠を誓うわけにはいかない。それらはこの国のシンボルではあるが、それが踏絵のように使われることを認めるわけにはいかない。愛するというのは感情の問題であり、それを規制され一方向にだけ向けられる時代は恐ろしい時代であるに違いないと思う。

2011年5月26日(木)

 昨日はよい気持ちで山を歩いていた。よく晴れた日、暑からず寒からず、道すがら若緑は燃え立たんばかりで、伊豆が岳の頂上にはつつじが幾株も咲いており、黒や黄のアゲハが舞い捕虫網を持った男がそれを追っていた。遠足の小学生の一群と相前後して登り、道を聞かれたりした。いったん急坂を下って、長い尾根歩きの末にたどり着いた子の権現のあたりにはシャガの花が群れて風にゆすれていた。それに引きかえ、今日は曇った暗い雰囲気に合わせてか私の気分はいささか落ち込んでいる。たぶん昨日ちょっと余分にビタミンを摂取したせいだろう。気分よくほとんど疲れも感じずに、15キロ近い山道を登ったり下ったりできたのはそのおかげだが、その反動が今日あらわれているのに違いない。原発のニュースばかりでなく、昨秋汎美が都美術館の審査で不当に低い評価を受けた問題そして汎美の将来性の抱える諸問題などや、せっかく息子にプレゼントされたIpadがどうにも扱えなくていることなどなどが、念頭にちらちらして落ち着かない。明後日は日燿会展の搬入。お天気が気になる。我が家は車が入れないから、雨の中を100m近く作品を手で運ばねばならなくなりそうだ。

2011年5月20日(金)
今日は良い天気

 今日は本当なら山に行っているはずだった。この季節ならそこらの低山でも最高のはずだ。しかし数日前からおかしかった腹具合が悪化して、昨夜ひどい下痢になってしまったので、せっかくの支度もフイになって山行はやめた。それでも薬のおかげか食事をセーブしたおかげか午後には腹具合がおさまったので、いつものように散歩に出かけた。私のところからは公園道路1.5キロで広い芝生と雑木林の公園に行ける。芝生の広場では心地よい風が吹いていた。ふと原発のほうからの風でないから良かったと思った。同時に何かぐらっと周囲の色が変わったように感じた。今も放射能を浴びて必死で働いている人がいる。汚染された自分の土地から立ち退かねばならなかった人がいる。畑や家畜を見捨てなければならなかった人たちがいる。そしてその元凶である原発の先行は全く不透明で安定するまでどのくらいかかるかわからないし、それまで空気や海水を汚染し続けるの違いなく、そのうえいつ何時さらにお追い打ちをかけての地震や津波やあるいは猛烈な台風などの、自然災害に巻き込まれる可能性もあって、もっとひどい災害をまき散らしかねないではないかなどと思うと、心が冷えるのだ。
 私はずっと前からこのことが起きることの予感を持っていたと思う。40代くらいで読んだ一冊の本(もう題名も忘れた)で原発の怖さ、目に見えない放射能の危険性と使用済み核燃料を主とする核廃棄物のどうにもならない始末の悪さ、などについての知識を得ていた。そしていくら言われても、人が作り人が運転するものに絶対安全、絶対無故障などということはありえないから、いつかはチェルノブイリのような破滅的な事故が起きると思っていた。しかし何もしなかった。せめて私の生きているうちにはそんなことが起きないでくれよくらいな気持ちで、心中に蟠りつづけた不安について特に大きな声で騒ぎもしなかった。専門的な知識がない者の口を出すことではないという遠慮もあったに違いない。今の政権以前の自民党政権が業界と癒着していたのであろうし、産業界全体からまたGDPをあげることのみに血道を上げてきたからこうなったのだろうが、国策として推し進められていまや54基もの原発が地震列島のこの国のほとんどがまた断層線上にいつのまにか出来上がってしまっていた。
 確かに電気はありがたい。電気のおかげで生活が楽になった。何事も便利になり多種多様の技術や産業が起きて経済が豊かになった。しかしそれで本当に人類は幸せになったのか。人類は電気なしでも数千年を生きてきた。電気よりも水や空気の方がはるかに大事なはずなのに、電気が使えるようになってから200年足らず、原子力の利用開始から数十年という短い期間に、それらを放射能で汚染させてしまおうとしている。たしかに私の生涯はこれまで電気のおかげを蒙り豊かに幸せに過ごせたと思う。しかし今少年時代に過ごした戦禍とその影響下の時期と同様の先の見えない暗い時代を、生涯の終わり近くで体験せざるを得ないことになってしまうとは思わなかった。人生というものはままならないものだとつくづく思う。
 それにしてもこれから我々はどう生きて行くべきなのか。画家として表現者としての何らかの役割はないのか。人類がこのまま技術と経済発展のみを追求し続ければ、温暖化という巨大な暗雲も目の前に立ちふさがってきていることだし、原発問題をただエネルギーの需給の問題だけで考えずに、もっと生活そのものを見直してもっと自然(地球という本当に数少ない恵まれた環境)に対して謙虚にならねばならないのではないかと思う。

                                       
2011年5月13日(金)
日記再開

 新しいホームページになってから、日記ページの設定の仕方がわからずにいたのだが、メニューを探していたらあったので、やっと再開にこぎつけることになりました。季節は初夏、花の季節は終わって今は新緑。色鮮やかな植物たちの旺盛な生命力を見ていると楽しいのですが、頭の中にはこのところ原発の二字が常に腰を据えていて、気分を重っ苦しいものにしています。
 今日ついに東電は一号機でメルトダウンが起きていることを認めた。しかも格納容器からの水漏れもあると言う。とりあえず現状を維持するためには注水を続けねばならず、その水が底から漏れているのでは高濃度汚染水がどんどん増えていくわけで、その水を堰き止めたところで貯蔵タンクをいくら作っても間に合わないという事態になるのではないのか。でなければ海に流れ出すだろうから、海洋の汚染は地球規模で広がっていくことになる。恐ろしい話だ。
 こんな状況でもなお原発建設を推進しようと言う人がいるが、その気がしれない。わが東京都の再選された知事さんもその一人。人命よりも地球環境よりも経済性を優先すると言うことか。この知事さんは、大阪と東京がリニア新幹線で1時間で往来できるようになることが素晴らしいことのように言っている。そのリニア新幹線を動かすためには原発を三つ造らねばならないのだそうで、そんなものを造ってまで、我々からすれば今の新幹線の3時間を一時間に短縮する必要が、どこにあるのか理解に苦しむ。
 政府が東海地震に備えて浜岡原発の停止を中電に申し入れたことに対しても、財界トップ辺りから反論が出ている。たしかに計画停電が起きたりすれば、自動車などの工場をはじめとする経済界は困るだろう。がしかし、これまで日本と言う国全体が電気と石油にひたすら頼って全てを積み上げてきたことに、基本的な反省と修正の必要があるのではないか。
 あまりにも便利を追いすぎてきた我々市民の生活も、大きく方向転換を迫られてくるには違いないが、下手をすればこの国全体を荒廃させかねない危険な原発をなくす方向を衆智を集めて探り出していくべきではないだろうか。